花猫がゆく再訪5・宗教にウンザリ

 Mさんの勤め先の大学は郊外にあり、敷地が巨大で、ひとつの村のようだった。私が見た大邸の他の大学もそうだったから、地方都市の大学としては、こういうのが一般的なのかも。敷地の中に学部ごとの建物や食堂などだけでなく、公園に池、テニスコートにバスケットボール場やコロセウムみたいな形の競技場もあった。休み中で人は全然いなかったけど。

 Mさんの話では、それらの施設は学生を集めるためにあるのだそうだ。日本もそうだが韓国も少子化がすすんでいる。それと韓国独特の事情として、ソウルの大学でないと就職が難しいという問題がある。

 地方の大学を出た学生はどうするの?と聞いたら、それが問題なのよ~という感じで、大学は苦慮しているらしい。ただ、学生の総数は2万もいるとのことで、よくそんなに人が集まるな、とは思う。大邸だけでも他にいくつも大きな大学があるのに。韓国は大学進学率が高いからかな?

 Mさんの学部の場合は、芸術系ということで、先生になる人が多いらしい。学校の先生だけでなく、いろんなところの先生。

 キャンパス内の、池のある公園の向こうに、4~5階くらいの高さのきれいな団地のような建物がズラーッと並んでいた。ほんとに、どこまでも並んでいた。それは寮だと聞いて驚いた。よくそんなに人間がいるな、と思ってしまうくらい、建物はたくさんあった。

 でもそれだけじゃなかった。「あそこに高いビルあるでしょ、あれも寮」とのこと。タワマンみたいに大きな高層ビル。団地型の寮より新しく建てられたものらしい。

 それだけじゃない。キャンパスの外、大学の周囲の道路沿いはワンルームマンションが見渡す限り並んでいる。もののたとえではなく、本当に見渡す限り並んでいた。「あれもあれも、ぜーんぶワンルーム」。皆同じ形式で建てるから、見ただけでワンルームだとわかるのだそうだ。ここに大学が移転して以降、周辺の住民がこぞってワンルームに建て替えたとのこと。「あんなに寮があるのにー」と言うと、寮は規則があるから窮屈に思う学生は多くて、そんな人はワンルームに住むとのこと。やっぱ韓国人でも現代人はそうなんやね。

 その他に自宅通学の学生も相当数いる。そして、大学周囲の普通のアパート(マンション)、家族で住むようなところ、そういうところもほぼすべて大学関係者が住んでいるとのこと。これだけ大学の規模が大きければそこで働く人も多いわけで。あとは食事をしたり飲んだりするところを含めて、ほんとうに街全体が大学村。たぶん大学がくる前はなんもない田舎だったんだろう。

 ところでこの大学はカトリック系なので、キャンパス内に聖堂もあるし、神学部もある。カトリック信者の多い韓国のことだから、学生は信者が多いのかと聞くと、そうでもないらしい。もちろん信者もいる。私は少し前に島田裕巳の「宗教消滅」という本を読んでいて、そこには世界的に宗教離れがすすんでいると書かれていた。ヨーロッパでも教会に行かない人が急速にふえていると。韓国人は(いろんな意味で)宗教心が強いからそんなことないのかな、と思いながら、宗教心の強いMさんには不謹慎な気がしてそんな質問はしなかった。そしたら。

 「韓国でも最近教会に行かない人がふえててね」

とMさんの方から言い出したのだ。思わず「ええっ、やっぱり」と言ってしまったよ。

 「なぜ信仰しないのかと学生に聞くんだけどねえ。教会関係者にもいろんな人がいてね。神父様にもシスターにも、いろんな人がいるのよ。中には人格的にちょっと、という人もいる。もとは信仰していた人がそういう人を見て、落胆して信仰から離れていく。そういう人が、多いのよねえ」

 こんな話をわざわざしてくるくらいだから、そういう人が相当多いのだろう。尊敬に値しない宗教者を見てうんざりする人。

 正直、ぶっちゃけ、ここだけの話、韓国だからじゃないの?とちょっとだけ思ってしまった。もちろん日本でも宗教関係で悪い人はいっぱいいるだろうけど、人間の良し悪しだけでなく国民性?の違いもありはしないか。韓国人にも清廉潔白な人、真摯な人、誠実な人、いると思う。たくさんいるでしょう。けど私があくまで個人的に「ああ韓国人らしいな」と思うタイプは、良くも悪くも自己中心、パワフル、自分を押し通す、儒教信仰で上のもんが無条件でエライ、相手の話を聞かない、そんな感じで、そういった特性が特に強い人が宗教関係者の中にも必ずいるはず。

 日本で親が通っていた教会に、韓国から来たシスターが数年間滞在していたことがある。このシスター、悪い人ではないだろうけど、すごい商売っけが強かった。教会内で長年地味にやってきた留学生のための学生寮を全面改装し、家賃をドンと上げた(改装の財源は長年の信者たちの寄付?かどうかは不明。因みに韓国人の不動産運用熱はすごく、イモも家賃で長年食ってきた)。自分で韓国語教室をやり、はっきり言って素人先生でほぼ役に立たない授業なのにお金をとってた。教会にパソコンを導入して、VHSビデオも使えないような年寄り(うちの母)にDVD渡してた(買わせたのかもしれない)。DVDプレイヤーもなかったのに。すごい明るい人ではきはきしてたけど、あまり繊細なところはなくて、なんかシスターっぽくない人だなあ、と思っていた。少なくとも、悩みをこの人に相談したいとは全く思えないタイプだった。でも他の韓国から来たシスターはすごく物静かで優しそうな人もいたから、このシスターは特別だったと思う。でも、日本人ならあり得ないんじゃないかな、こんなやり手の尼さん。

 他にも、キリスト教ではないが、ひどい宗教者を見たことがある。日本にある韓国系仏教の寺にいた、韓国人の坊主だ。これは本当にひどかった。なんというか人格が劣悪というか、人への思いやりなんて1ナノグラムもない感じで。韓国の寺から追い出されて辺境の日本に左遷されたんじゃないか、と密かに思ったくらい。

 まあそんな人もいるくらいだから、おかしな宗教関係者、ぜんぜん不思議じゃない気がします。そんなことMさんには言わなかったけど。もちろん真面目な人がほとんどだとは思うけど。

 でもこの話があとでまた出てくることになったのよねえ。まるで伏線だったかのように。

 旅行の最終日にブチ切れた時、その場にいたMさんの妹までが「言ってあげたいんだけど、TAMAは信仰したらいいと思う」と言い出し、Mさんが「それは私も言ってあげたの」と言って2人で布教を始めたので、ブチ切れついでにこう言ったのよ。

 「正直に言っていいですか?うち母親信仰心強いでしょ。でも母はよくない所がたくさんあります!小さい頃からそんな姿を見て私は信仰する気はなくなったんです!」

 そしたらMさんが我が意を得たりという感じで「ほらぁ、これだ!」と言って笑ったのだ。Mさん妹が意味がわからなそうにしていると、尊敬できない宗教者のために信仰をなくす人の説明を自分の妹に上手に説明して、それで布教は止まった。きっと、このパターンは絶対に信仰は戻らないと経験から熟知してるのだろう。

 ついでにもひとつ宗教話。

 最後の晩、私は女帝イモに理不尽に叱りつけられ(私が悪いのではなく、うちのきょうだいが母に会いに行かないと聞いて、勝手に機嫌が悪くなり、ひとりで体壊しながら介護してきた私が叱りつけられた。そんなバカな話あるかいな)その後捨て台詞のように自分の娘2人に言った言葉。

 「キドハジャ!(祈ろう)」

 これにはムカーッときた。キドハジャ、じゃねーだろ!それは思考停止なんだよ!自分に都合いいだけ。目の前のもん見ろよ!!キドハジャの前に「大変だったね」の優しい慈悲の言葉のひとつも言えないク○(ソでもズでも)が、何が神だ。

 まあそもそも、女帝イモは私のことは前からもひとつお気には召さなかったのだと思う。こいつのお気に入りは自己愛性人格障害のほうだった。外面をよく見せる天才のあっちはまさしくお気に入り。たぶん相性サイコー。私はたぶん「かわいくない」のである。

 あと、イモが昔、私にこんなことを言ってたのも印象に残っている。

 「おまえはXX(自己愛性人格障害の名前)とは違う。おまえはTと一緒だ」

 きれいに自己愛性人格障害と私を比較しやがって、そういうの最低だと思うんだけど、このTとは当時同居していた孫娘の名前。この時は単に「自分勝手な現代っ子」くらいの意味かと思ってたのだけど、もしかしたらそれだけではなかったのかもしれない。

 今回知ったことだが、女帝イモは実は嫁と非常に折り合いが悪かったらしく、嫁はこの姑が大嫌いだったらしい(当然だよね…)。娘は母から祖母の悪口を聞かされるだろうし、祖母よりは母の味方だろうし、そう思えば孫娘とは少し距離があったのかもしれない。そのTと一緒とは、「自分に従順ではない何か」を私から感じ取っていたのかもしれない。