花猫がゆく再訪3・大邸(テグ)というところ「全羅道の人間は汚い」の衝撃

 大邸に到着してすぐ、まずは迎えに来てくれた親戚Yさんの車で女帝イモ邸に挨拶に行った。ここでYさん(イモの姪で70歳くらい)と女帝イモの交わしていた会話がまず、「やはりここは大邸…」と思わざるを得ないものだった。

 ちなみに私、韓国語はある程度勉強してきて一般的な会話はだいたい理解できるんですが、大邸の方言、かなり厳しいです。若い人の話す標準語に近い言葉は、わかりやすく話してくれることもあって概ねわかるけれども、年配者の話す純粋な(?)方言はほんとキツイ。方言って日本でいえば東北弁か九州弁くらいのもんかと思っていたけど、どっちかというとアイヌ語か沖縄語くらいの距離感だった。まあ実際はそこまでじゃないんだろうし、もっと韓国語ができたらそんなに違いを感じないんだろうげど、私レベルの韓国語では相当なハードルだった。でも、東北弁もきっとお年寄りの話す純粋な方言はやっぱりあれくらい難しいのかもしれないけど。

 従って、年配の親戚たちの話す内容もよくはわからない。わからないけど、なんかムン・ジェインがどうたら、不動産の税金が上がるのがどうたら、とか、どうもかなり、悪口?言ってるみたい。それも結構、吐き捨てるような感じて。ムン・ジェインが新大統領になって、今のところ支持率も高く、全国民が喜んでいる中で、いきなりムン・ジェインの悪口かよ(^^;)やはりここは大邸なんだなあ、と。

 ところで、日本で在日であるということは、日本では少数者、マイノリティなわけです。そうすると、選挙権はないものの、立場としては普通、「リベラル」に近い立脚点になります。移民なわけですから。基本的には移民やマイノリティに対して開かれた政策が好ましいと思うのが、私としては自然な感覚です。

 だから、大邸が超保守王国だと知った時には、なんとも言えない不思議な違和感があった。大邸には親の親族がいるけど、その人たちもバリバリの保守なのかなあ?親の家族なのに??もしかして、大邸は保守地域だけど、親の親戚は「そうは言ってもねえ」って感じで中道かもしれない、と思ったりもしていた。バリバリの保守が家族にいるというのが、どうも想像しにくかったからだ。

 ムン・ジェインの悪口言い合ってる?らしいイモとYさんに、聞いてみた。「ムン・ジェイン嫌いなんですか?」

 「嫌いというか、好きじゃない」と吐き捨てるように言うYさん。やっぱ嫌いなんやんかー。

 「じゃあパク・クネが好きなんですか?」

 「そうだ。パク・クネはよくないことをしたのは確かだけど、私は支持している」

 ええーっ。超バリバリの保守の親パク派じゃん!やっぱりなあ。

 親戚たちは、絵に描いたような典型的な大邸市民だった。その他にも、何の話の流れだったか、全羅道の話になったので、おそるおそる、「あの、やっぱ、全羅道の人はあまり良くはないんでしょうか?」と聞いてみたら…。

 「そうだ(きっぱり)。全羅道の人間は性質が違う。根性が悪いし、嘘をつくし、汚い」

 あ、ほんとなの。地域感情ってほんとなの。いわゆる慶尚道全羅道の仲の悪さって、話には聞くけど、実際は「そういうことになってはいるけどねえ」って感じなのかと思ってた。そこまで本当なのねー。

 でもね、慶尚道全羅道の対立って、作られたものだって話もあるよ。歴史的にとか、百済となんたらの昔から、なんて言うのは嘘で、実際は朴正煕の時代に自分に有利にするためにデッチ上げて煽った噂が元だって。

 なんてことは言えるわけもなく。語学力の問題ではなく、キリスト教信者にそれ神ちゃうでと言うみたいなものなので(この例えも親戚の場合、シャレにはならない。皆パリパリのカトリック信者だから。信仰と保守思想はここの場合密接につながっているようで)。

 この人たちは、朴クネ&チェスンシル問題が出て以来、国民の絶大な支持と信頼を集め続けたメディアであるJTBCのニュースは絶対に見ないだろう。自分の見たいものだけを見る。信じたいものだけを信じる。それでうまくいっている。Yさんはお金持ちだし息子は医者。女帝イモは孝行してくれる娘たちに囲まれてお幸せで長生きなのだ。

花猫がゆく再訪2・大邱(テグ)というところ

 この4~5年ほど、近くの韓国語講座に通っていた。先生は皆ネイティブの韓国人なのだけど、中に「この人、本当に性格が悪いな」と思う人が何人かいた。表面的な人当たりはいいのに底意地が悪く、他人が見てないところでは陰険な意地悪をするタイプ。とても嫌な思いをさせられたこともある。約2人。どちらも韓国の大邸出身の女だった。その時はたまたまだと思っていた。韓国人はサッパリした人が多いと思っていたので、こんな陰湿な人もいるんだなと思っただけだった。

 うちの母親の出身も大邸で、今でも親戚は大邸に在住している人が多い。母親は10人きょうだいの8番目で、今も母親のきょうだいで存命なのは韓国では10番目の妹だけ。9番目の妹を含め、多くのきょうだいは早々に亡くなっている。うちの母と10番目は顔も体型もそっくりなので(頭の良し悪しだけは正反対)長生きの体質も似ているのかもしれない。

 韓国では母方のおばは「イモ」と呼ぶのだが、この10番目のイモが、前回の覚え書きでも書いた通り、大変な女帝なのである。前近代の家父長制の女版というのか、絶対君主制というのか、とにかく下の者に有無を言わせず従わせる感じ。前回訪問時には献身的な嫁がいて、全面的にこの女帝な姑の世話をしていた。女帝イモはデーンと座ったままで何もしない。料理も洗濯も掃除も、全くしない。皆、嫁がこまごましく動いて働いている。本当に家父長制のお父さんみたいな姑。ほんとによくできた嫁だなあこんなきつそうな姑に黙って仕えて日々働いて、と思ったことは前回の覚え書きにも書いたけれど、実情はまた違っていた(その話はおいおいまた)。

 以前、韓国のテレビの選挙開票速報を見て目を疑ったことがある。大邸では保守の政党(当時はセヌリ党。日本の自民党みたいなもん)の得票率が98%とかいう見たことないような数字だったからだ。逆に全羅道の方ではリベラル政党が98%くらいだったりで、物凄く両極端。よくいわれる慶尚道全羅道の対立というのはこれほどはっきりしたものなのかーと驚いたものだった。

 前回訪問時は知らなかったのだが、慶尚道の中でも大邸のある慶尚北道はTKといわれる本当に特殊な地域で、朴正煕・朴クネのお膝元であり、保守の牙城、鉄板の地域なのだった。今回、朴クネの弾劾を求めて全韓国の人が「ろうそくデモ」を繰り広げる中、それに対抗する親パク派のデモの人たちの印象がとても悪がった。パク親子の恩恵を受けた高齢世代が中心で、そういう人を集めたのかわからないが、ろうそくデモが平和的なデモだったのに比べて、暴力的な人が多く「こわい」という印象があった。私の中では朴クネを支持する人の印象はよくない。そして朴クネ支持者は圧倒的に大邸周辺の人が多いのだ。というか現在の韓国内で、国賊ともいえる朴クネを支持するのはほぼ大邸周辺の人しかいないだろう。それぐらい、特殊な地域なのだ。

 ところで私が生まれ育ったのは京都だけれども、正直私は京都があまり好きではない。排他的で差別的な人が多いからだ。京都の人は特権意識を持っているようで、同じ日本人の中でもよそ者は差別したりする。もし京都で育ってなかったら、子供の頃の差別やいじめももっとマシだったのではないかと密かに思っている。大阪から移住した人が「京都は仕事がやりにくい。人間関係が難しい。人間がえげつない」と言うのを何人からも聞いたことがある。しかも盆地で夏の蒸し暑さは実に耐え難い。

 大邸の人の特徴としてよく言われるのが、保守的、排他的、特権意識を持っている。そして盆地で夏の暑さがひどく、テグ+アフリカで「デプリカ」と呼ばれている…。まるで京都と一緒じゃない?親の地元もこれなのだから、もう差別的な土地柄に縁があるのは私の宿命なのかもしれない(泣)。

脱北者が「脱大邸(テグ)」するワケは? スパイ呼ばわり、就職難・・・ | DailyNK Japan(デイリーNKジャパン)

韓国南部の大邸(テグ)市。人口250万の韓国第三の大都市だが、保守的でよそ者に対して冷たいことで「定評」がある。その大邱に住む脱北者が最近、「脱大邱」する傾向にあると大邸の地方紙、嶺南日報が伝えた。

昨年12月の時点で大邱市内に住んでいる脱北者は683人で昨年6月の702人に比べると減少している。脱北者が大邸を離れる理由として一番に挙げられるのは就職難だ。

 

しかし、就職難以上に脱北者が大邸を離れる最大の理由として挙げられるのは脱北者に対する大邱市民の「偏見」だ。

大邸在住10年のパク・チンソクさんは「北朝鮮訛りのせいで仲間はずれにされた経験が忘れられない」「脱北者だと言うとあからさまに見下される」などと大邸でのつらい経験を語った。

「『北朝鮮から来たんだからパルゲンイ(アカ)だろ?』と言われたことが心の傷になっている」とスパイ扱いされたことすらあるとパクさんは語った。

ユ・ミニさんは昨年9月、ハナ院(脱北者教育施設)から居住地として大邸が割り当てられた。言われるがままにやってきたものの半年足らずで大邸を去った。

ユさんは「大邸の人はよそ者を中々受け入れてくれない」「訛りで脱北者かどうか確認されるのが大きなストレスだった」と大邸での経験を語った。

 これはひどい。これじゃ日本での在日差別と一緒じゃないか。しかも同じ民族の中でも差別するあたり、京都ともちょっとかぶる。

 しかし語学学校の大邸出身の先生の陰険さも、こういう土地柄なら少し理解できる気がする。それと、これはただの印象論なのだけど、日本在住の若い韓国人には大邸出身の人が妙に多いな、と思ったことがある。もちろん統計的にはわからないけれど。地理的に近いからかな?と思ったりもしたけど、もっと近くて人口も多い釜山の人にはあまり会ったことがない(古くからいる在日には釜山出身はたくさんいる)。

 これは私が勝手に思っているだけで何の根拠もないけれど、実は大邸の人の中にも(特に若い人は)大邸を窮屈に思っている人が結構いるんじゃないんだろうか。おおっぴらには言えないけど、こっそり脱大邸したいと思ってる人が多かったりするのかも。なぜおおっぴらには言えないかというと、あの異常なナショナリズム儒教でがんじがらめなために、自分の住んでる土地、国、家庭に不満を言うことが許されにくい社会だから、かもしれない。特に家庭の中で目上の人に不満を言うのは難しかろうなあ、と強権的な女帝イモを見て思ったのでした。

 あと、現在の韓国ではソウルの大学を出ないと就職が難しいという事情もあるかも。地方の大学出身者は外国に行くなりして別のキャリアを模索する人が多いと聞くので。

 悪くばかり言ってるようなのでいいことも書いておくと、大邸に限ったことではないかもしれないけど、親戚たちに関して言うと、家族親族の結束は物凄く強い。日本では親戚づきあいってもっと淡白なことが多いけど、この人たちは一族がまるで「部族」という感じなのだ。日本でも田舎ではそういう感じなのかもしれないが、いっても大邸は韓国第3の都市で、大都市なのだ(大都市だけど人は田舎のまま、といえばそうかもしれないが)。

 私などから見ると、ちょっと窮屈そうに見えたり、いわゆる「黒い羊」というか、家族の期待にそぐわないタイプだったらしんどそう、とか思う部分もあるけど、あれだけ結束が固かったら何かと心強いだろうとは思う。保守的、排他的であることの一面なのだろうね。

花猫がゆく再訪1

 「花猫がゆく」というタイトルでネットに文章を載せたのはもう10年以上前になるのかな?当時はブログもSNSもなく、「ホームページをつくる」というアバウトな言い方で、簡単な時代だった。韓国の親族訪問した折にあったことを覚え書きとして、特に深い考えもなくアップしてみた。嫌韓ネトウヨも今ほと目立つ形ではいなかったので大して気にしなくてよかった。人は人、自分は自分という考えを今よりは持つことができた。今はずいぶん窮屈になったと感じている。

 その内の一部をまとめて某賞に送ったら賞をいただき、結構面白く読んでもらえたのだなと思うことができた。今だから言うと、その年の審査委員長は椎名誠で、他の審査委員の人たちが私の完成度の低い文章をあまり推さなかったところを椎名氏が「ゼッタイこれが面白い」と推してくれたので私のに決まったのだとスタッフの人から聞いた。その前後の年は別の人が審査委員だったので、違う年だったら受賞はしてなかったと思う汗。

 先日その親戚をまた訪問する機会があった。実は前の覚え書きの時からもう何度か行っていて、挨拶で立ち寄ったのも含めると4度目(5度目かな?記憶が不確か)なのだけど、今回は前に比べるとかなり韓国語能力が上がっているのと、親戚とがっつり一緒にいたため、久しぶりに濃い訪問となった。この間、大統領の弾劾とそれに伴う様々な事件があったため、韓国のテレビやメディアに多く触れ、韓国に関する知識もあり、思うところもいろいろあった。

 別に特に行きたくて行ったわけでもなかった。親の介護も一段落つき少し時間の余裕ができたことで旅行が可能になったことと、うちの家族で韓国の親戚とつながりを持つのも私が最後かな、それなら私が少し橋渡し的な役割をしてもいいかな、という漠然とした思いから、もう一度会いに行ってみることにしたのだった。母方の親戚で日本で付き合いのある人はほぼいないので、どんな人たちか会ってみたかったというのもある。

 結果、激しく疲れて帰ってきたけれど、もし行っていなかったら「一度行ってみなければ」と思ったままずっと過ごすことになるので、まあこれでよかったのかもしれない。

韓国人の完全なる自己肯定

日本には自分を低く置いて謙遜する文化があって、そのためか自分に自信がない人が比較的多いと思う。私などは条件の悪い環境に生まれ育ったため未だに自己評価の低さに困ってるけど、そこまでひどくなくても、基本、出しゃばらずに遠慮がちなのが日本の人の一般的な態度だと思う。

韓国人を見てると、なんでこんなに自信満々なのだろうと思う。あの熾烈な競争社会で、外見による差別も激しいのに、社会の勝者でも何でもなくごく普通の人でも、容貌がいいとは決して言えないような人でも、みんな自信満々でいるように見える。「自分を卑下する」という概念が全くないかのよう。ていうかないと思う。
みんなが自分をすごいと思っている?そういう部分もあるかもしれないけど、彼らの序列意識はすさまじくはっきりしているので、多くの人の中で自分がどの位置につけているのかは正確に把握していて、実際の姿より自分を上だと思っているとかはあんまりないように思う。そんなことより、自分がどんな位置にいようとも揺るぎない自信、深い部分での完全な自己肯定があるように見えるのです。

もちろんいろんな人がいていつでも例外はあるわけだから、全員がそうだと言うわけではないけれど。と免責事項はつけておきたい。一個人のひとつの見方です。
それに、あの自殺率を見たら、自信が徹底的に崩れた時のしんどさはやはり相当なものだろうなとも思うものです。

しかしどこからこの「完全な自己肯定」がくるのか。国教である(あれは完全に宗教だと考えるのが正しいと思う)儒教と関連があるのだろうか。欧米人の精神構造はキリスト教と関係が深いと思われるけれど、同じように儒教は韓国人の精神構造に深く影響しているのだろうか。

私の個人的な印象に過ぎないけれど、儒教よりもっと根源的というか、もっと昔からの国民性だという気がする。儒教儒教とすごいプライドを持っていらっしゃるけど、儒教(ていうか朱子学)は李氏朝鮮王朝以降でしかなく、しかも両班(貴族)文化であり、庶民にそれほど儒教的価値観が根付いていたのかは怪しい気がする。李氏朝鮮末期から誰もが両班を名乗りはじめ、見よう見まねで儒教儀式を庶民が真似しだしたんだから。

日本は姓(名字)が多い国だ。住んでいた家の地理状況や出身地、屋号、職業など様々な由来の姓があり、基本的にその地域の地主や統治者とは、おそれ多いのもあって、与えられたのでもない限りかぶらないのが普通だ。韓国の場合、なぜあんなに姓のバリエーションが少ないかというと、競って偉い人(両班)の名前をみんなが名乗りだしたからであって(^_^;)みんながみんな、自分も両班と主張したからなわけで。

偉い人と偉くない人がいるとすると、自分は偉い人の側!って無条件に決めちゃうような精神構造が、どうも韓国人にはあるらしい。そしてその精神構造が、あの天より高いプライドの源泉なのだろうと思う。

韓国人の親がどれだけ子に対する情が深いか、を象徴する話にこんなのがある(この「韓国人は情が深い」についても私は大いに疑問に思っているけど)。犯罪を犯してどこかに立てこもっている犯人を自首させるために、日本では母親を連れてきて息子を説得させるけれど、これは韓国ではあり得ないというのだ。なぜなら韓国では母親は無条件に息子の味方であり、警察の側について息子を逮捕させるようなことは絶対にしないからだと。

日本では「世間様」がどーんと存在していて、世間に対して恥ずかしくないようにだとか迷惑にならないように、と考えて行動するわけだけど、韓国では内と外があるとすると、外の優先度は極めて低いようだ。自分の家族である「内」を何が何でも守る。外の優先度が低くて外にどう思われても平気だとしたら、外に対してへこへこする必要など全くなくなるのです。
これは儒教と結びつくかな?私はこれも儒教以前の国民性な気がしている。今の韓国人は儒教にがんじがらめだけど、本来はもっと「自由」な人たちなんじゃないかな、という気が個人的にはしている(韓国人は絶対に否定するだろうけど)。「自由」だからこそ上にたてつかないように儒教で押さえつける必要があったのかもしれない。
いずれにしろその「外」の優先度の低さも、理屈ではない自己肯定につながっているのかもしれない。自己否定感の強い人はわかると思うけど、自己肯定って理屈で言い含めてできるものではない。肯定できる人は言われなくても勝手に肯定していて、意識したり疑問に思ったりしないものだ。

私はこの「根拠なき自己肯定」については素晴らしいなと思ってはいるし、自分も少しはこうだったらよかったのにとも思ってはいる。ただこの美点は、他のいろいろな困ったこととやっぱり抱き合わせで裏表なのでしょう。批判を許さないとか、悪いと言われても認めないとか、嘘に対する罪悪感が薄い人が多いようだとか、社会の公平・公正さが少なくなりがちとか。いい悪いではなく、こうなんだなあと把握しておくのみ。

「日本には抵抗の文化がない」

ベラルーシノーベル賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチという人が福島で多くの人にインタビューしたあと、東京外大での講演でこんなことを言っていたのをテレビで見た。
「私たちの国と同じく、日本には抵抗の文化がないと感じました」
日本は最もよくできた社会主義国とは昔からよく言われてきたことなので、とても印象深かった。ソ連は革命があったのに「抵抗の文化がない」というのにも。確かに、番組で見たチェルノブイリ周辺の人たちの「あきらめ感」「受け入れ感」はすごかった。

ほんの隣なのに、韓国には抵抗の文化があるようだ。日帝に抵抗してきた歴史もあるし、今現在もデモの文化がしっかりとあることは、この度の大統領弾劾を求めるデモを見ても明らかだ。日本人はいわゆる「バランス感覚」に長けているので、あのデモに対して「極端だ」「ちょっと気持ち悪い」「意味がわからん」と違和感を感じる向きもあったように思う。日本のメディアに関してはほぼ「親パク派」で、弾劾が決まった時の残念そうな報道は面白いくらいだった。

スベトラーナさんの講演では、「自分の中に燃えるろうそくを消さないように」とも言っていたそうだ。韓国でのデモが「ろうそく集会」と呼ばれていたことを知ってか知らずか。

久々の更新

4年間放置してたのにブログまだ残っていて、ログインもできてちょっと驚き。はてなブログに移行したほうがいいのかもしれんけど、面倒くさいのでこのままで。はてなダイアリーありがとう。

韓国に対して思うところ(まあ悪口)がたまってきたので、ロバの耳の穴として使おうかと。

もちろん私は韓国には友好的だし親しみも感じているし、いい人悪い人がいるのは日本もどこの国でも同じと思ってるし、尊重するつもりもある。しかしそんな私が見ても、この人たちなあ…と思うところはある。いい悪いではなく韓国人ってこうなんだなあとつくづく思うところもある。

認めて、認めて、認めて、と自分に言い聞かせるのにも疲れてきた。だってあの人たち、相手を認める気全然ないんだもん。

사의 찬미「死の賛美」パダが歌ってた

 KBS「不朽の名曲」にてパダがこの曲を歌っていた。物忘れがひどいので、昔調べたはずなのにこの曲のいわれをすっかり忘れてしまっていた。そもそも사의 찬미を「死のバラ」と思ってしまい(バラは장미)「死のバラ」で検索しても何も出てこなかった笑。「死の讃美」でぐぐり直したら、あっさり自分のブログが出てきたので都合よく思い出せた。昔のブログも置いておくもんですね。しかし相変わらずこの曲に関する情報が少ない。

 最初に聞いたのは確か「砂漠の泉」というドラマの挿入歌で、そのバージョンはかなり良かったのだけど、誰が歌ってたのか未だにわからない。

 前に「不朽の名曲」の公開録画に行った人のブログを読んだことがあり、それによるとあれは夜中の12時くらいまで録画しているのだそうだ。お客さんはけっこうな年の人も多いのだけど、最後まで盛り上がりまくってるのを見るにつけ、ああ韓国人だなあ…と感慨深い。