花猫がゆく再訪7・下品地獄と泥棒猫

 私だってその土地の習慣を尊重するつもりはもちろんある。だから韓国の慣習は尊重してきたつもりだ。個人的に韓国の慣習の中で一番わだかまりを覚えるのは、親や年上を無条件で尊敬せねばならず、初対面で「序列を決めるために」(実際に韓国語でこの言い方をする)年齢を言わなければならないとかいった、行き過ぎた(と私には思える)儒教の慣習だ。きょうだいでもないのにお姉さんとか呼ばなければいけないとか、年下なら可愛がらなければいけないとか、正直気持ち悪いが「その国の習慣だから」と私なりに合わしてきたつもりだ。

 でも、そういう儒教関係ではなくて、もっとしょうもないことだけど許容するのがしんどい韓国の慣習が、たとえばものを食べる時に口を開けてクチャクチャいうとか(これはどうしても、絶対に慣れることができない。韓国だけではないだろうけど)、あと「正座がよくない」っていうのもなかなか慣れないもののひとつだ。

 韓国では正座は罪人がするもので、フォーマルな座り方は「立て膝」または「あぐら」なのである。食事の時に立て膝で食べるって日本では行儀が悪いけれど、韓国ではえらい人の前でも立て膝かあぐらが正しい。でも私はついそれを忘れてかしこまる時に正座しちゃって、目上のおじさんに「ちゃんと座りなさい」ってあぐらに直されたりする。「ちゃんと座る」が立て膝かあぐらなのよね、女性でも。まあ、これは楽でいいけど。

 でも、我慢限界ってことはある。もう無理ーって思うこともあるんです。

 特に食事の時、周り全員がクチャクチャ、クチャクチャ。あれは習慣的にやると「クチャクチャ」ではなく、舌の音も加わって「チョッ、チョッ、チョッ」と聞こえるもので、周りがみんなあぐらかいて立膝でパンツ見えそうになったりしながら、チョッ、チョッ、チョッ。

 我慢、我慢、我慢、と思っていても、うわーーーっと叫んで逃げ出したくなる時もあった。我慢したけど。

 西面市場の屋台みたいなとこで、若くて芸能人みたいな美人の女の子2人が食事してたけど、ショートパンツはいてるのに椅子の上であぐらに立て膝で顔を突き出して麺食ってた。クチャクチャと。あんなにオシャレな女の子でも、ってちょっと不思議な感じがしたなあ。

 

 あと、下品とは違うけど、すごく個人的に私的にどうしても許せないと思うことがひとつあった。

 以前韓国でこんな事件があった。マンションの下で野良猫に餌をやっていた女性の頭上に、誰かがレンガを落として、その女性が亡くなった。

 そして旅行のすぐ前にこんな事件もあってニュースで報道していた。ビルのガラス清掃の人がスマホで聞いていた音楽が嫌だと、その建物の住人が屋上に上り、その清掃の人を吊るしているロープを切った。

 信じられないようなニュースだが、悪い人はどの国にもいるのでその話ではなく、親戚たちの間でそのニュースが話題になり、Yさんがこう言ったのだ。「ああいうのは精神分裂病の人がやったのだ。普通ならあり得ない」

 あとで調べたら猫のほうは犯人は男子小学生だったらしいが、旅行の時はそれは知らなかった。私は猫に餌をやる人を殺すのはありえへんと思うし、だいたい元々韓国では猫は嫌われている(最近だいぶ変わってきて猫好きはふえてはいるが、飼われているのはペルシャとかマンチカンとか高価な座敷猫が多い)。その上韓国では昔から犬は放し飼いで猫はつながれていることが多い。これだけでも自由を愛する猫に何てことするんだと怒りを覚えるし、韓国人は自分以外が自由なのは許せない人たちなんじゃないかとさえ思う。もちろん人間に対しても(韓国の自殺率はダントツの世界一です)。

 だから野良猫もすごく少ない。いてもこちらを認識した途端、脱兎のごとく逃げる。日本でも逃げるけど、比じゃない。どれだけ人を恐れているのか、どれだけ普段人間からひどい目にあっているか、推して知るべしなのだ。

 で、話が出たついでにYさんにこう聞いてみた。「韓国では野良猫(キルコヤギ:道の猫)は少ないでしょう」。そしたらYさんがいまいましそうな表情で、「いいや、泥棒猫はたくさんいる」と言ったのだ。

 ここで私はピキッとなった。

 泥棒猫?

 恐らくキルコヤギというのはメディアや猫好きの人が使う政治的に正しい言い方なんだろう。一般の人は普通に野良猫のことを「泥棒猫」と言うのかもしれない。しかしYさんのいまいましそうな顔に吐き捨てるような言い方。そうだ、韓国人だったんだ、猫嫌いなんだ、と気づいて、目の前にサーッと線が引かれるのが見えた。

 野良猫のことを普通に泥棒猫と言うのは、私的には許容できない。せめてドラ猫とか、もっと愛情の感じられる言葉にしてほしいわ。

 もちろん韓国人全員が猫嫌いというわけではない。テレビの長寿番組である「動物農場」(すごいタイトルだけどオーウェルとはまるで無関係の子供から大人まで楽しめる動物番組)にも猫の話はよく出てくるし、そういうのを見ると「愛されてるな」とも思う。昔に比べると猫の地位は本当に上がった(「日本の影響」と言ってた韓国人がいた)。猫カフェもたくさんある(座敷猫ばかりだろうけど。これは日本も同じか)。韓国人はだいぶ猫好きになってきている。そう思ってたからこそ、「泥棒猫」にピキッときてしまったんだな。

 Yさんはもしかすると、猫に餌をやっていた人に石を落とした人に対して、「気持ちはわかる」くらいに思っていたのかもしれないな、と思った。そう思うと、更にサーッと自分が引いていくのがわかった。

 因みにYさんも敬虔なカトリック信者。お金持ちのYさん。ムン・ジェインの不動産への増税に怒っていた、売国奴パク・クネ支持のYさん。夫は宝石商で息子は医者。医者といっても皮膚科だという。韓国で皮膚科というのは、ほぼ美容皮膚科で、Mさんも「しみとり」をしてもらったという。なんだ社会貢献よりお金儲かる科を選んだんだな、と思った。全体に、あまりキリスト教的なものをどこにも感じない。慈悲とか優しさとか奉仕とか…。

 京都に住んでいた時、野良猫をかわいがってたお宅の人に声をかけたら、その人は「猫はええわ。人間はえげつない」と独り事のように言ってはった。今でもしょっちゅうこの言葉を思い出す。私も心からそう思ってるのかもしれない。