韓国人の完全なる自己肯定

日本には自分を低く置いて謙遜する文化があって、そのためか自分に自信がない人が比較的多いと思う。私などは条件の悪い環境に生まれ育ったため未だに自己評価の低さに困ってるけど、そこまでひどくなくても、基本、出しゃばらずに遠慮がちなのが日本の人の一般的な態度だと思う。

韓国人を見てると、なんでこんなに自信満々なのだろうと思う。あの熾烈な競争社会で、外見による差別も激しいのに、社会の勝者でも何でもなくごく普通の人でも、容貌がいいとは決して言えないような人でも、みんな自信満々でいるように見える。「自分を卑下する」という概念が全くないかのよう。ていうかないと思う。
みんなが自分をすごいと思っている?そういう部分もあるかもしれないけど、彼らの序列意識はすさまじくはっきりしているので、多くの人の中で自分がどの位置につけているのかは正確に把握していて、実際の姿より自分を上だと思っているとかはあんまりないように思う。そんなことより、自分がどんな位置にいようとも揺るぎない自信、深い部分での完全な自己肯定があるように見えるのです。

もちろんいろんな人がいていつでも例外はあるわけだから、全員がそうだと言うわけではないけれど。と免責事項はつけておきたい。一個人のひとつの見方です。
それに、あの自殺率を見たら、自信が徹底的に崩れた時のしんどさはやはり相当なものだろうなとも思うものです。

しかしどこからこの「完全な自己肯定」がくるのか。国教である(あれは完全に宗教だと考えるのが正しいと思う)儒教と関連があるのだろうか。欧米人の精神構造はキリスト教と関係が深いと思われるけれど、同じように儒教は韓国人の精神構造に深く影響しているのだろうか。

私の個人的な印象に過ぎないけれど、儒教よりもっと根源的というか、もっと昔からの国民性だという気がする。儒教儒教とすごいプライドを持っていらっしゃるけど、儒教(ていうか朱子学)は李氏朝鮮王朝以降でしかなく、しかも両班(貴族)文化であり、庶民にそれほど儒教的価値観が根付いていたのかは怪しい気がする。李氏朝鮮末期から誰もが両班を名乗りはじめ、見よう見まねで儒教儀式を庶民が真似しだしたんだから。

日本は姓(名字)が多い国だ。住んでいた家の地理状況や出身地、屋号、職業など様々な由来の姓があり、基本的にその地域の地主や統治者とは、おそれ多いのもあって、与えられたのでもない限りかぶらないのが普通だ。韓国の場合、なぜあんなに姓のバリエーションが少ないかというと、競って偉い人(両班)の名前をみんなが名乗りだしたからであって(^_^;)みんながみんな、自分も両班と主張したからなわけで。

偉い人と偉くない人がいるとすると、自分は偉い人の側!って無条件に決めちゃうような精神構造が、どうも韓国人にはあるらしい。そしてその精神構造が、あの天より高いプライドの源泉なのだろうと思う。

韓国人の親がどれだけ子に対する情が深いか、を象徴する話にこんなのがある(この「韓国人は情が深い」についても私は大いに疑問に思っているけど)。犯罪を犯してどこかに立てこもっている犯人を自首させるために、日本では母親を連れてきて息子を説得させるけれど、これは韓国ではあり得ないというのだ。なぜなら韓国では母親は無条件に息子の味方であり、警察の側について息子を逮捕させるようなことは絶対にしないからだと。

日本では「世間様」がどーんと存在していて、世間に対して恥ずかしくないようにだとか迷惑にならないように、と考えて行動するわけだけど、韓国では内と外があるとすると、外の優先度は極めて低いようだ。自分の家族である「内」を何が何でも守る。外の優先度が低くて外にどう思われても平気だとしたら、外に対してへこへこする必要など全くなくなるのです。
これは儒教と結びつくかな?私はこれも儒教以前の国民性な気がしている。今の韓国人は儒教にがんじがらめだけど、本来はもっと「自由」な人たちなんじゃないかな、という気が個人的にはしている(韓国人は絶対に否定するだろうけど)。「自由」だからこそ上にたてつかないように儒教で押さえつける必要があったのかもしれない。
いずれにしろその「外」の優先度の低さも、理屈ではない自己肯定につながっているのかもしれない。自己否定感の強い人はわかると思うけど、自己肯定って理屈で言い含めてできるものではない。肯定できる人は言われなくても勝手に肯定していて、意識したり疑問に思ったりしないものだ。

私はこの「根拠なき自己肯定」については素晴らしいなと思ってはいるし、自分も少しはこうだったらよかったのにとも思ってはいる。ただこの美点は、他のいろいろな困ったこととやっぱり抱き合わせで裏表なのでしょう。批判を許さないとか、悪いと言われても認めないとか、嘘に対する罪悪感が薄い人が多いようだとか、社会の公平・公正さが少なくなりがちとか。いい悪いではなく、こうなんだなあと把握しておくのみ。