昔のメモから2 いとこKの話

引き続き昔のメモから。Kは母親の姉の娘で、数少ない日本にいる親戚の1人。一応いとこではあるけれど、私は親が40代の時の子供なので、きょうだいと同じく、叔母くらいの年齢差。距離感もそんな感じ。

Kは母方の美人遺伝子を引き継いでいて、毒姉Gと同じく、美人の誉れ高い。私の父の葬式の時、このKが喪服でやってきて、Gの隣に座って2人で話してたのを見て、その2人がいる場所がなんか他と空気が違っていて、あ、この2人美人なんやな、これが美人ってことなのか、と思ったのを覚えている。因みに美人かどうかは人柄に全く関係なく、この2人の場合は人柄は極めて悪い。

かつて私はKの家に呼ばれた時、こんな驚くべきことを言われたことがある。「あんたには私の住んでるとこ教えるけどな、あんたのお母さんには言いたくないねん。あんたのお母さん、朝鮮まるだしやろ。だからうち来て周りに知られたくないねん。せやけどあんたのお母さんとちごて私のお母さんは、ほんまに上品で、あんたのお母さんとは全然違ってんで。ほんまうちのお母さんはやることも見た目も上品でつらつらつら…」

嫌らしい京都弁がえげつなさを助長するあたりも、本当にGと似通っている。

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(母親の話から)

Kは4人姉妹だがめちゃめちゃ仲が悪く断絶しているらしい。一番下の妹は結婚して大きい息子もいるとのこと。

「一番上の姉の息子が小説家になる言ってたけど、どうしたかなあ」

は?小説家?何て名前?と聞いたら、うにゃうにゃ言ってどうもはっきりしない。いろいろあって、という感じ。「最初はAやったけど…」

要は最初のダンナがAという人で、屑鉄屋をしていたが、ある時、人が持ってきた鉄くずが爆弾で、それが爆発して死んだ(出た、昔の在日あるある波瀾万丈)。で、次のダンナがBだかCだかで、でもその息子には隠して、最初から次のダンナの子供やと言ってたらしい。その後、大きくなった息子が、うちの母にどうしても教えてくれとしつこくしつこく聞くので、「誰にも言うたらあかんで」と言って、父親が本当の親ではないことを教えてやったらしい。その時にその息子が、自分は小説家になるつもりやから、それにあたってちゃんと知ってんとあかんから、と言ったというのだ。

「教えてやってよかったと思ってる」と母。今頃どうしてるか。小説家にはなったんだろうか。

母親が日本に来たのは、Kの母の紹介だったらしい。10人きょうだいの内、Kの母は2番目、うちの母は8番目だった。Kの母と、もう一人、父の姉の夫の紹介で両親の結婚は(相手の顔も見ず無理矢理)決められた。Kの母と、父の姉の夫は同じ村の出身で、村にいる時からの知り合いだったそうだ。昔の結婚ってこんなにいい加減。DVがあったり姑と関係が悪かったりで、母親はしょっちゅう家出してたらしいが、海を隔ててたら出戻るわけにもいかないし、不幸な結婚は続かざるを得なかったんだね(それが出来のあまりよくない娘を送り出す親の戦略だったのかも、と密かに訝しんでいる私)。Kの母と父の姉の夫を恨むべし。

Kの母は美人遺伝子持ちだったらしい。Kがあれだけ自慢するくらいだし。ただ早死にだった。韓国の母の姉妹の中でも美人の姉は早くに亡くなったらしく、その孫娘ときたら女優のように美人だからな。母方の家系では美人遺伝子持ちは早死にするのかな?

母によるとKは、人より上でないと気が済まない性格。「あいつは自分が一番偉いねん。きょうだいみんなそんなんやから、仲悪いんや」

しかし私はうちの姉にも同じメンタリティの片鱗を見るな。DNAか?美人DNAは明らかに分けあってるが。

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※2019年5月追記 片鱗どころかもっとひどかった。この後親の介護をめぐってGのクズっぷりは全開に噴き出してひどいことになる。ここへ三男の嫁も参入してクズの味方につき(それが自分にとって得だから)、ますます醜い図式に。そういえば三男の嫁も美人な方だな。美人はいろいろ無理を通してもらえるから傲慢になりがちなのかな。

Kのことを「あいつは自分が一番偉いねん」と言っていた母だが、自分の子供に関しては自分の損得があるから、偉かろうがなんだろうが、自分の得になるように振る舞うようになったのだった。10人きょうだいの8番目、ほぼ末っ子状態で無邪気にみんなに甘えてきた子供時代の快感が今蘇ってるのだと思う。もともと発達障害的でアルプスの少女ハイジみたいな性格だったが、ますますハイジ化が激しい。これが毒親だと気づく介護人はいるだろうか。