嫁さん三態

1.

 周りの人間を食い殺していく人というのがいる。占いの世界では「後家運」とか「女には強すぎる運勢」とかいうのがあって、今の時代には古臭くてそぐわない考え方ではあるけど、大邱のイモは確かにこれだ。
 試しに日本式姓名判断でイモの名前を見てみると、19、21、18(または11)、29だから、後家運そのもの。実際に後家だったし。
 夫も早々に亡くなったが、大事な長男も早死にした。長男が亡くなった時、その子供2人はまだ小さな子供と赤ん坊で、嫁さんもまだ若かった。もし子供がまだいなかったら、嫁さんも出戻って新しい人生をやり直したかもしれないが、小さな子供が2人いて、しかも専業主婦で姑と同居していた。姑は家事はほとんどしなかったそうだから、結婚してからずっと嫁さんは家の家事を全部していたと思われる。結婚数年後に夫が死亡。子供が小さいから家を出ることもできず、その後は育児と女帝のようにでーんと座っているだけの姑の世話をし続ける生活となった。

 10年以上前に私がこの家の様子を初めて見た時には、かいがいしく働くスーパー嫁、結束の固いとても仲の良い家族、宗教(カトリック)によって強く暖かく安定して結びついている家族親族、に見えたし、その後も今回訪ねるまではそう思っていた。それを可能にしているのは宗教だとも思っていた。この親族はとても熱心なカトリック信者だからだ。イモの娘の1人はフランスで修道女までしてるのだから、夫が死んだ後も嫁が姑に尽くし続けるなんて当然の道徳観なのだろうと。ここは儒教精神の深く根付いた韓国でもあるし。

 実際は、嫁さんは姑を激しく嫌っていた。穏便な言い方しかしないMさんが真顔で「ものすごく嫌ってる」と言ってたから、相当嫌っていたのだろう。カトリックも、儒教の精神も、ぜーんぜん関係なかった。ただの嫁姑関係だった。しかもとんでもない自己中心な女帝姑。来る日も来る日も大嫌いな姑の家政婦をし続けなければいけなかった数十年間の生活は、どんなに嫌な日々だっただろう。しかし経済的には姑を頼るしかない。自分には稼ぐ方策もない。数十年後、そのストレスのせいか大病になり、今は田舎の療養所で暮らしている。常に死の影におびえているから、とてもピリピリしているとMさんは言っていた。

 Mさん(小姑)と嫁さんも、仲がいいのだと思っていた。実際仲はいいのだろうが、微妙な面もあったということも今回知った。Mさんと話していて、そんな生活続けてたなんて、嫁さん気の毒ですね、と言ったら、Mさんは突き放したようにこう言っていた。「どうかな。いつも土日は山登りとか遊びに行ってたし、割りと好きなことはしてた。それはオンマ(姑)のお金を使ってたわけだしね」

 山登りが好きなのは私も聞いていた。自転車もスポーツ車が家にあったし、アウトドアが好きな活発な人だったと思う。しかしそれが数十年間の苦渋の生活と見合うだけの「ぜいたく」なのか?山登りにサイクリング、しかも土日。家政婦の給料として見合うものかどうかわからないが、やはりMさんはイモ側の人間なのでイモの味方として考えるのだろう。これでは嫁さんがつらかったのも当然だ。実際に「私にとってはオンマ(母)だからオンマの側についてしまうし、でもいつも嫁さんからはオンマを悪く言うのを聞くし、板挟みだった」と言っていた。それはMさんが、物分かりのいい、理解してますよって顔をして嘘をつくからだよって今は思うけど。

 またMさんはこんなことも言っていた。「嫁と姑は、どちらもがとてもいい人であっても、絶対に一緒に暮らしてはいけない」 あくまで自分の母親は「いい人」というスタンスなんだな。こりゃ嫁さんつらいわ。

 本当に、暖かい心で嫁さんを土日に遊びにやり、小遣いを渡していたなら、それだけ憎まれるだろうか?Mさんの口調では、そんなに姑を憎む嫁さんの方が問題があるというような口ぶりだった。別の時には、オンマは心の大きい人だと賞賛もしていた(韓国人特有の、身内びいきの見栄発言だともいえるが)。

 ここまで見てきた今の私が言えるのは、あれはいけない。あの自己中心的で高圧的でわがままな、あんなのが姑で何十年も旦那なしで同居、子供たちが自立して家を出てからも同居し続けていれば、嫌うのは当然、心も体も病むのは当然。でも嫁さんにどうすることができただろうか。結局はイモに「吸われる」運命だったのだろうか。

 

2.

 日本のわが母にも嫁がいる。息子は3人いるから3人の嫁がいる(いた)。長男の嫁は某巨大新宗教信者で、キリスト教大好きのうちの母とは長らく宿敵状態だった。互いにめちゃめちゃ嫌い合っていた。母は嫁のことを「あのナンミョーホーレンゲキョーが」って言ってた。だから嫁はもう長いこと母とは全く交渉なし。孫が結婚しても、ひ孫ができても報告すらしないという有り様。

 この長男の嫁に関しては、母でなくとも、私にも「いい人ではないかもしれない」と思わざるをえない思い出が2つある。1つは、私が高校生の時、親が新しく建てた新居に引っ越しし、長男夫婦が訪ねてきた時のこと。小さい息子(母からしたら初孫)を連れていたのだが、母のいない私と2人だけの時、ふと自分の子供に向かってこんなことを言ったのだ。

 「この家は将来あんたのもんになるんやで」

 えっ。。。と絶句したのを覚えている。あ、そんなこと考えてるんや、と。

 もう1つは、思い出すのも心が痛い。私が就職して家を出た後、実家で飼っていた犬を長男夫婦にあげたらしいのだが、嫁がその犬を「捨てた」と言うのだ。その捨て方というのが、車で遠出をした折、行きの道で、絶対帰ってこれないような山の中に犬を置き去った。そして用事が済んで帰り道、同じ道を通った時、置き去った時と同じ場所に犬が待っていたというのだ。

 普通なら感動して、「ごめんよ~。もう絶対捨てたりしないよ!」と犬を抱きしめて連れて帰るシーンだと思うのだが。

 嫁が言うには、

 「犬と目が合ったら連れて帰ろうと思ってたんやけど、目が合わへんかったから置いてきてん」

 これを淡々と笑顔で話す嫁だった。人としての感情が壊れているとしか私には思えない。

 

3.

 長男の嫁はまあいいんです。自分と自分の家庭(夫と子供たち)はうまくやってるんだろうから。次男の嫁は当初からほとんど関わりがなく、私は会ったこともない。ていうかそもそも、年が離れすぎて、私は長男と次男とは数えるほどしか会話をしたことがないんです。結婚式もハワイだかでしていたし、親は出席もしていない。これだけでもどれだけ親子関係として異常だかわかる。毒親家庭ってそんなもんよ。

 唯一母と関わりのある嫁が三男の嫁なのだけど、この人、いい人なのだと私は長年思っていた。日本人で、そこそこ美人で、愛想がよくて、気が回って、多分会う人誰でも「いい人」だと思うだろう。22歳年上のいとこの女性も、「Mくんにあんなええ嫁さんがくるなんて」と言っていたし。

 「いい人」という印象が覆されたのは、介護状態の母を巡って、母の退院日に毒糞姉と口論になった時だった。私より14歳年上の毒糞姉(姉というのもおぞましいので以下G)は、自己愛性人格障害の人。三男の嫁は第三者なので中立的に判断してくれるだろうと思っていたバカな私。母の退院日。Gと嫁と私で話していて、

 いろいろあったが思い出すのも嫌だ。そもそもこの場ではGと私の間での話をしていたのに、全く無関係の嫁がペラペラと口を出し始め、全く関係ないのにGの味方をして私を攻め続けたのだ。Gは自己愛性人格障害にありがちだが、加害者のくせに被害者面をしていた。加害者なのに!何か変だなと思った私が「なんかGの味方ばっかりしてるけど?」と嫁に問うと、「それは今までの積み重ねちゃう?」と攻撃的な口調で私に言ってのけた。

 こいつ、いい人の振りしてたけど、結構、言うんだな、と思った。いい人の振りしてたけど、タヌキだっんたんだな。

 三男の嫁はこの場で、自己愛性人格障害用語でいうところの「取り巻き」であることがはっきりした。そしてボケた母は、この10年以上、いろいろなものを犠牲にし、健康も犠牲にし、父親が死んでからずっと母親のために尽くしてきたこの私をコケにし、私は周りが全員敵だと思い知り(母は認知症なので数秒後には忘れていたが)、この日はわんわん声を上げて泣きながら駅まで歩いて帰った。車で帰ろうとするGに、その横で私が怒りまくっているのに全くひるむこともなく「あっ、お姉さあん、私も乗せてえ♪」と軽快に言ってのけ、へらへらとGについていった。

 子供の頃からずっと、私は怒らない人だった。怒っても仕方ないからと、ただあきらめてやり過ごすのが生きる術になっていた。その癖が抜けず、今に至るまで随分苦労している。母とGの影響は大きかったと思う。怒ったとしても受け入れられたことが1度もない。「何ぶーたれとるんや、アホか」とか、「お前が怒ったってこわないで~」とバカにするとか、そういう対応しかできない人たち。この時のタヌキ嫁の態度にもそれを強く感じた。「バカにする目的」でわざと明るく「お姉さあん♪」とやるのだ。普通その場で誰かが激しく怒っていたら、とりあえず静かにしとるもんやろうに。それは「私はあなたをバカにしてますよ~」という意思表示なのだ。

 自己愛性人格障害者は、自分をアピールするのがものすごくうまく、周りの人たちを味方につけ、ターゲットを窮地に陥れるのが天才的にうまい。周りをさあっと観察して、決して自分が損をしないように、すべてが自分を利するようにもっていく。信じられないほど薄っぺらい人間なのに、そこだけ(あと金に関しても)は異常に狡猾。実際にGの大昔からの口癖が、「そんなことしたら損や」だった。私はバカな要領の悪い発達障害傾向なので、いつも損なことばかりしていたと思う。立ちまわるのがヘタでなめられやすくいじめられやすい。Gとは真逆の性格だ。Gが自分は素晴らしいという万能感にすぐに酔えるのと違って、私はいつも自罰的で考えこむタイプ。今思うと私は生まれつき、Gに「吸われて」いたのかもしれないな。

 タヌキ嫁の言った「積み重ね」って何なんじゃ、とあとから考えた。タヌキ嫁は一体何考えとるんや、と。私は以前はこいつを第三者として判断してくれる人と思っていたので、会えば少しは悩みも話してきた。Gについても、こんなことがあってね、という話もしたと思う。それなのにあの「私はこの人の味方!この人についてますっ!」という主張は何なんだろうと。Gは大いに慰められたと思う。Gにとっては可愛くない妹が私。代わりにできた可愛い妹が三男の嫁だったのだろうか。何か、Gの方がタヌキ嫁の手のひらで転がされているような。

 タヌキ嫁は、ごく若い時に三男とできちゃった婚をした。その前は就職もしてなかったんじゃないかな。三男はブサイクだが若い頃やんちゃで結構モテたので、タヌキ嫁は引っかかったのかもしれない。だが三男はバカだし働くのも嫌いで競馬好き。だから貧乏。子供は男女2人。女の子はタヌキ似の美人でうまく生きられそうだが、弟はよくはわからないが、ちょっと発達ぽかったと思う。感情が全く感じられず、ほとんど喋らなかった。遺伝かもしれない。

 タヌキ嫁は「こんな男と結婚してしまって」と悔やんだと思う。Gにもよく泣いてこぼしていたらしい。「Mさんがお金入れてくれない」とか言って。そして自分は体が弱いとよく主張していた。体調が悪くて家族の行事に来れない、ということがあった。「ほんとかな?」と私が聞くと、Gは「電話で話したけど、ほんまにしんどそうやったで」と言っていた。自己愛性人格障害者は案外単純で騙されやすい。

 私もよく体調を崩すけれど、あまり人にそれを言ったりしない。タヌキ嫁もアピール上手なのだ。ある時、「私も体が弱くて、体弱いと大変だよね」と話しかけたことがある。体弱い人の悩みを共有しようとしたのだけど、タヌキ嫁の反応は意外にも、露骨に迷惑そうだった。その時知ったのだった。あ、この人、自分が体弱い、と武器にしてたんだ、だから自分以外の人がそれ言うの嫌なんだ。体弱いっての、嘘かもしれん。

 Gも、親も、タヌキを哀れんだ。Mみたいなアホな男と一緒になってしまったから苦労している、と。ほんとかな。父親の葬式の時、三男と少し話したら、「あいつも金遣い荒い」とぼそっと言ってたけど。タヌキ、いつも可愛い真新しい服着てるけど。「可愛い服だね」と言うと、娘のお下がりだと言っていたけど、ほんとかな。

 でもタヌキが貧乏で悩んでたのは本当だと思う。バカ夫で悩んでたのも本当だと思う。だからこそ、そこへGだ。Gはそこそこ金持ちの男と結婚して、金がある。金があることは自分からアピールしている。タヌキから見たら、まぶしい。Gはとても偉そうにしている。しっかりしてない男兄弟と比べて、自信満々。私が支配する!という気マンマン。私が長女!と母の介護業者にも偉そうにしていた(介護も、人から見えないところでは何もしないのは徹底していた)。

 このお姉さんについていたらいいことあるかもしれない。とりあえずこの家族の中で頼れるのはこのお姉さん!そう思ってるのだろうと思う。何しろGは、嫁のいる前で、母親の貯金額、かつて4つほどにバラして入れてあった定期預金の額まで全て、ベラベラと大声でまくし立てる本物のバカなのだ。「何ゆうてんの」と言うと、「何が悪いんや!」とヤクザ口調で言い返される。嫁が「この人についていこう!」と決心するのも無理はない。Gは金への執着がすさまじいので、あれだけのバカなのに金額は細かく全部暗記してるんだなあと感心したものだ。私の方は、これは母の貯金だからという理由で、金額は何度も見ていたのに全く覚えていないので、こっちはこっちでバカなのだけど。

 どうもGは、私に渡るべきもの(例えば母のマンション)をタヌキ嫁にまわそうとしている節が前からあった(母に進言していたのを何度か母から聞いた)。タヌキも多分それを察知していたと思う。そう誘導していたのかもしれない。それって私にとってどうよ?本当の妹からむしりとって義理の妹に渡そうとするなんて、そんな姉ってどうよ。毒の上に糞がつく姉でしょう。ゴキブリと呼ばれてもしかたないでしょう(これ以外にもゴキブリと呼ぶに至った理由はたくさんある)。いやどうも、Gはかつて、タヌキ嫁にある借りがあるらしく、、、(あっもしやそれが「積み重ね」の意味か)。なら自分の金で返せばいいので、人の金で返そうとするのが何とも卑劣だ。いくらお金があっても吝嗇な自己愛性人格障害らしい。とにかくGとタヌキにはそういう妙な共生関係が見え隠れするのだ。

 しかしタヌキ嫁もバカだとは思う。Gの味方につくのはいいとして、なぜわざわざ私を敵に回す?そんなことする必要全くないのに。私はタヌキを「いい人」だと思っていたわけだし、Gと私のどっちを取る?ってタイプでは私がないことは普通に見ててわかるだろうに。実際に「私は自分の味方をしてほしいとは全く思ってない」とまで言ってあったのに。仮にどんなに私が無力だったとしても、敵ができるってことはいくらかはマイナスが生じるでしょう。普通に中立に立ってものを言えばよかっただけなのに、頭の悪い人間はそれができないのか、と。実際、私はこの日以来タヌキ嫁を金輪際信用しなくなったわけだし、もう親族だとか何らかの繋がりのある人間だとも思っていない。関係のない欲深い人、ただそれだけ。Gの腰巾着。わざわざそんな風に思われるようなこと、なんでする?

 おそらく、タヌキ嫁から見て、家族もない、金も特にない、そしてGより14歳も年が下の私は、あまりにも「弱いもの」「どうでもいいもの」であり、あまりにも味方につく意味がないもの。そしてGの方は、金があり、しっかりした家庭があり、支配的な強い性格、なにしろ「上!」上についたらトク、そう考えたのではないかしら。加えてタヌキが「積み重ね」と呼ぶ気持ちの悪い共生関係、Gと同様の勝ち負け思考、密かに私を邪魔だと思っていること等(単純なGはタヌキにとって手のひらで転がすのがちょろいが、私はやりにくい、というのもあったりして)。

 そういった、あまりにも下に見ていい存在(実は密かに邪魔だと思っている存在)である私は、Gへの忠誠心を示すための道具にされたのだと思う。ボスに対して忠誠心を示すことができるいい機会。私はこの日2人の結束を大いに強めたはずだ。Gはなお一層、母の持ち物や家族のあれこれについて詳しく教えてくれるだろうし、自分にいろいろと回ってくる手助けをしてくれるだろう。頼りにしてます、お姉さん!

 タヌキ嫁が嫁という立場で自分を守り、最大の利益を得ようと思うと、こうなるということなんだろうか。いっそ、長男の嫁のように、一切何も関わりを持ってこない方が、よっぽど人としてマシなんじゃないだろうか。犬を置き去りにするのは許せないが(それ考えるとどっちもどっちかな~)。

 しかし、タヌキ嫁がそういう考えを持ち、そういう基準で人を判断するのは、愚かというより、クズなんだと言える。悪人の腰巾着は悪人よりもっとたちが悪いのかもしれないし。

 (考えてみたら、タヌキも京都人だわ~)