ドイツZDF フクシマのうそ /原発についてあれこれ

Part2
http://www.youtube.com/watch?v=uOgoZDDsRkc
 すごくよくまとまってて、日本の問題点がヒジョーによくわかる番組(原発問題は日本の問題が凝縮されている)。ドイツ人すげえ。アマカダ〜リ(天下り)。福島第一にいる専門家は皆相当な被曝をしており、そのうち福島第一には誰も専門家がいなくなるかもしれない、4号機がどうにかなったら周辺には誰もいることができなくなり、他のユニットも制御できなくなる、のくだりはさすがに背筋がゾッとした。

 いい人だ。東電幹部や政治家や官僚で、そして日本の大手マスコミの人で、この人のように泣ける人がどれだけいるだろう。エリート層に優しさがないということは、やはりその社会は優しさのない社会なのだ。

 昔、日本でものすごくかしこいといわれている大学の医学部の人と話す機会があった。その人はかつてある原発のそばにある病院に勤務していたことがあったそうで、そこでは原発事故が起こった場合の対応のマニュアルがあったそうだ。「まずはこういう人をどうして、こうして、とか細かく言われてたけど、そんなん、何かあったら自分が真っ先に逃げるに決まってるやん、なあ」とその人はしれっと言っていた。たぶん、そのとき口ポカンだったと思う、私。

 知り合いのひとりが原発賛成派だと人づてに聞いた。ある程度知的でリベラルな人は普通、原発には反対だろうと私は昔から思っていたので、へえー、と思い、次にその人に会ったら原発について話をしたいと思ってた。「いくら安全だといっても、事故の確率が0%というわけじゃなし、でもその万一の事故の場合の被害が計り知れなさすぎる。途方もなさすぎる。だから原発は『割に合わない』んじゃない?」と言おうと思ってた。その話をする機会がくる前に福島の事故が起こった。未だに話はしてない。何でその知り合いが原発賛成なのかと想像してみると、まあ考えはいろいろあるだろうけれども、セルフイメージが多分に関係している気がする。自分がどういう立場のどういう人間でありたいか。理知的な人間はどういう考えを持つか。

 数年前から私は「日本人は立場が全てに優先する人たちだ」と思っている(「東大話法」という本でも日本人立場主義がとなえられているらしい)。それに気づいた時は、そうかあ立場なんだー、と思って、友達とかに「日本人って立場が全てやねん! 立場が全てに優先するねん。自分の考えとか欲求より立場のほうが上で、それを無意識にやるねん!」と熱く語ったものだけど、友達からは「はぁ、それがどしたん」みたいな反応しか返ってこなかった(当然ですね)。

 ZDFの番組でも東電の体質について取材されているけれども、電力会社の内部が相当いい加減であることは、今までちょこちょこ事故がある度に表に出ていた。放射性物質をバケツで処理していたとか、棒を釜の中に落としたとか、事故をたくさん隠蔽していたとか、どういう会社やねんそれ、ということは普通にニュース見てたらわかったはずだ。それでも普通に原発を容認している人が世間には多いということが、普通に不可解だった。