A3/森達也 本の感想

 人と話していて「あれ?」と思うことが増えた。友達がこっちの予想もしない反応をかえしてくる。テレビやネットを見ていてもおかしいと思うことはいっぱいあるけど、メディアはそういうもんだろうという気がある。最近の若いモンはわからん、というなら大昔からいつだってそうなのだろうけど、同年代の友達と話していても「あれ?」と思うのだ。話が通じない。どうも常識の基盤になっていることが違う気がする。昔はこうじゃなかった気がするのになあ…。

 で、最近やっと気がついた。あっそうか、世の中が変わってるんだ!と。当たり前のことなのだけど、自分のこととなると、価値観は不変かつ普遍なものだと思ってしまうんですねえ。お釈迦様だってこの世に不変のものはないと大昔におっしゃっているのだ。空気をうまく読める日本人はさっさと適応しているのに、空気読めない私は世の中の動きについていってない、ということだったのだ。と思う。世の中のほうが変わったのなら仕方がない。そういうもんだとして受け入れる、というか流すしかない、と思うようにしている。

 そういうレベルの低い話ではないが、森達也も「日本社会が変質した」という認識を持っているらしく、そしてその変質のきっかけがオウム事件にあるとしている。オウムによって危機意識を刺激された社会が、メディアの商業主義と結託して、わかりやすく単純な善悪二元論に突っ走っているのだ、と。

「もちろんすべてがオウムから始まったわけではない。村落共同体的規範が強い日本社会は、昔から集団内異物に対しては、とても非寛容な側面がある。(略)でも多くの人の危機意識を強く刺激した地下鉄サリン事件が、日本社会のこんな傾向に大きな拍車をかけたことは間違いない」

 非常に面白い本で、「A」の映画のほうが不入りだったので第3弾は仕方なく本にしたとのことだけど、これは本でしかできないでしょう。死刑囚との面会も麻原の娘との会話も、ビデオカメラでの撮影は不可能だろうし。特にエピローグでの中川智正との面会及び手紙内容、麻原の人物像など、本当に面白い。不満なところをいえば、女性信者との面会(や手紙)があればもっとよかったかな。断られたのかもしれないけど、そういう経緯もあればよかった。全共闘だって女が大きなポイントだったのだし、女問題は重要だと思うのだけど。それとやはり内容がややオウムに擁護的になっているので、気を使った書き方をしてるなとあちこちで感じられた。はっきり悪人ぽく描かれているのは既に亡くなった村井くらいで、あとはこの本を読んだらオウム信者はみんな善人に思えてくるほどだ。だけど実際は、エスカレートして悪に突っ走った幹部信者だって(きっと複数)いたはずで、そっち側も間接的であれ見えてくるようであれば、もっとフェアな感じがしたかな。

 あとは、キリストの言葉をつぶやいてみるとか…ちょっとオイ、てとこはあったかな。こういうカッコつける男のノンフィクションの型っていつからだろう。藤原新也? 沢木耕太郎? 読んだことないけど小田実じゃないよね。

 東北の震災(「東日本〜」というネーミングには疑問を感じるのであまり使いたくない)のしばらくあとに、森達也の講演会に行った。話は半分がこの本について、もう半分が震災についてだった。本についてはいいのだけど、震災についてはもう、我々は皆懺悔しなければいけない、みたいな雰囲気でまいった。東京のほうの人はよく「震災でいかに自分が変わったか」を浸りきって語るのだけど、大地震は今まで日本中であったのだし、関西には特に神戸の震災があったということを忘れてる、というか、要するに所詮一地方の小規模なものだと思っていたわけね、と思うことがよくある。森達也は貴重な人だと思うけど、すぐヒロイズムになっちゃうのがどうかなあ、と思うことはある。

 麻原の神通力らしきものについての記述もとても興味深かったのだけど、その内容が、「さっきソバ食っただろ」と言い当てただの、「まんじゅうちゃんと食えよ」とか「おや、昨日夢でお会いしましたね」とか、すごく俗っぽくて、つい笑ってしまった。