のら犬・のら猫 (鴨居羊子コレクション) 本の感想

 私が猫好きだからと友達が貸してくれた。鴨居羊子という人をまったく知らなかったのだけど、いろいろと面白かった。読んだ時に思ったのは、日本の女性作家には(きっと他の分野にもあると思うけれど)こういう「ユメユメしいお嬢さんの世界」を持つ人がめんめんといるのだなあということ。お嬢さんという表現が適当かどうかわからないけど、きっと子供時代に本や童話などの滋養をじゅうぶんに与えられ吸収して培われたであろうファンタジックな世界が内面にどーんとあって、もちろんその世界での主人公は自分、という自己愛の世界(悪い意味じゃないです)。そしてその内面世界は現実としばしばダブってフワフワした現実離れした世界を作り出すという感じ。文学世界に慣れ親しんでいるので文章はすこぶるうまくて美文だったりする。ぱっと思いつくのは森茉莉矢川澄子田辺聖子、読んだことないけど森村桂とか? 外国にも万年少女文学的な人はいると思うのだけど、特に日本的な気がするのは、きっとこれらの人に滋養として染み込んでいるのが外国産のものだから余計に現実離れ感がするからだろう。

 日本の女性文学にはこれとは違って、土着的で生活感溢れる「おっ母さん系」の人たちもいて、というか林芙美子西原理恵子しか思いつかないのだけれど、こっちはなぜかすごく男ウケがいい(前も書いたけどこの二人は顔まで似てる)。逆に上の「ユメユメしい系」は女ウケがいい。私はどっちもちょっと引くけど。

 本を返す日にネットで検索してみたら、鴨居羊子は画家の鴨居玲のお姉さんだと知ってへえーっと思った。エッセイの中にはお母さんやお手伝いさんは出てくるけど、弟の存在は全く見えない。そのことを本を返す折に友達に話すと、「そうなのよー、鴨居羊子の子供時代のことを書いたものの中でも、弟の存在って全く消されているのよね」と言う。友達によると、そういうことは多いのだそうだ。才能があって活発な女性で、病弱な弟がいる場合、なぜかその弟は彼女の作品世界からはきれいに除外されていることが多いらしい。栗本薫黒柳徹子トットちゃん?)他にもあげてたけど忘れた。弟が大事にされていたことへの嫉妬からかどうかはわからない。

 鴨居羊子の場合、写真を見てもちょっと男性のような顔をしているし、弟が線が細かったのとは対照的な気がする。それに、弟の作品世界が生涯何かに閉じ込められたように不自由そうで暗かったのと比べて、お姉さんの世界はずっと自由なのが興味深い。一方で、どちらも本質は暗くて孤独で悲しげなのは家庭環境の影響なのだろうか。

 矢川澄子森村桂は自殺、鴨居羊子も本を読む限り孤独そうだし、こういう人が現実と折り合いつけるのはつらいことなのかもしれない。