生まれた順序による相性

 島田裕巳の宗教以外の本で、「相性が悪い!」という軽い新書がある。長子、末っ子、真ん中、一人っ子など同士の相性の話で、読んだ時はしょうもない駄本、と思って読み飛ばした。しかし、あとになってじわじわと、いろんな人を見るにつけ、「あれホンマやったなあ」と思い出すことが多くなった。

 うちの母は末っ子ではないが10人きょうだいの8番目のせいか、末っ子に近い性格をしている。猛烈イモは10番目の末っ子。母は頭がよくなくカラッと明るいが(親戚の人が「あんたのお母さんは、明るいけどカラカラや」と形容していた。言いたいことはわかる)、猛烈イモは頭が切れる。そういうバランスもあってか、2人は双子の末っ子みたいな感じだ。間に男の兄弟がいたが存在が薄く、会ったこともなければ話を聞いたことさえない。母はもちろん、気性の激しいイモでさえ、実は「甘える側」の性質なのだろう。

 数年前に大邸に行った時、今は病気で療養中の嫁(姑である猛烈イモへの憎しみで病気になった、とMさんは言っていた)と2人きりで少し話す機会があった。その時は嫁さんが姑のイモを憎んでいるとは露知らずだったが、今思えば思い当たることがある。私が何も聞いてもいないのに、嫁さんはこう言ってたのだ。

 「オモニ(猛烈イモ)は末っ子。だから性格も末っ子らしい。どかっと座って、自分は何もせず、何でもかんでも誰かが持ってきてくれると思ってる。お姫様(コンジュニム)みたいに、誰かがみんな世話してくれて当然だと思ってる」

 その時は嫁姑の仲が悪いとは露知らず、結束の固い仲の良い家族、よくできた嫁、とだけ思っていた私は、この言葉にちょっと違和感を感じながらも、特に反応もせず頷いてただけだった。あんな気が強いイモが末っ子の性格?と不思議に思ったのもある。今思えばとても納得がいくのだけど。

 「そうですよね!イモほんとわがまま!うちの母もですよ!困るよね、ああいう人!」とでも言えばよかった。そしたらほんの少しでも嫁さんは力づけられたかもしれない。でもあの時は、そんな家族や目上の人を批判するようなことは、この社会では決して言うのは許されないことだと強く思っていた。それが韓国社会のルールだから。

 「相性が悪い!」の伝でいくと、猛烈イモのお気に入りが自己愛性人格障害のGであることも納得がいく。Gは上に兄がいるものの長女だからだ。母の介護を巡って業者の人たちと会う時、自分は責任逃ればかりで人から見えるところでだけいい格好するだけの卑劣漢なのに、業者の前ではいつも、まわりに響き渡る大声で「長女です!」と自己紹介をするG。自分が上、というのを常にアピールする。病院でもデイサービスの人にもケアマネにも老人ホームでも。自分が上でないと気がすまない。しかし人目につかない地味な仕事、自分の得にならない仕事は、絶対にしないことは徹底している。それでも周りの人から「自分がよくやっている」ように見せるのは、本当に抜かりない。周りは簡単に騙される、というのは自己愛性人格障害の周囲にありがちです。

 今はよくわかるのだけど、これが「甘える側」の末っ子性格である西太后猛烈イモとは実に相性がよくて、だからイモはGがお気に入りだったのだ。そして自分と同じ末っ子的性格である私は気に入らない。思えは私と似てると言っていた孫娘のTも末っ子。私は「自分がダメだからだ」と思ってたけれど(まあダメはダメなんだろうけどさ)、そもそも最初から西太后とは相性が悪かったのだね。

 ついでに言えば、母もだが。母は昔はGを名前で呼んでいたのに、高齢になっていつの頃からか「姉ちゃん」と呼ぶようになった。この「姉ちゃん」のどことなく甘えた響きが気になってはいた。そういえば母は長男のことも(これは昔からだが)「兄ちゃん」と呼ぶ。頼りにしているのだ。末っ子性格で甘えて当然と思っているから、甘えているのだ。きっと大昔の大邸の田舎でも、上のきょうだいたちに「兄ちゃん」「姉ちゃん」と甘えていたのが、体の深いところに染み付いているのだろう。高齢になり幼児帰りして、それがどんどんむき出しになる。Gのほうは自分の子供も大人になり、自分が下に見て支配できて世話してる気分になれる者が今は親になり、甘えて甘えさせて、ますます相性はよくなっている、というように見える。今はいつでもギャラリーがいるし、親を大事にしてる娘を周りにアピールしまくれるし。

 今まで親のう○このついたパンツやズボンをどれだけ洗っただろう。おむつをするほどでもないが日常少しずつもらす。あの臭いをどれだけかいだか。24時間親の心配ばかりして気の休まる時もなかった。大雪の日も台風の日も体調の悪い日も、這ってでも親の家に通った。ボケた上にお姫様性格の母はもちろん1mgの感謝もしない。介護のしんどさ虚しさは経験した人にしかわからない。その中でGは人目につくところでだけ自分をアピール。偉そうにするだけでなく、私を目茶苦茶にバカにする発言。のちに「そんなん忘れたわぁ。私が何ゆうたんや。ゆうてみい」と抜かし(自己愛性人格障害なので、自分の都合の悪いことは脳内から消去し、記憶を捏造することができる)、私が言わないでいると「お前も忘れたんやないか(薄笑い)」。何か少しでも言おうものなら、「お前だけやと思ってるんか!!」と今まで何度言われただろう。

 Gは病的な性格だと思う。本当に。発達障害の人との付き合い方に悩んでいる人の書いたものをいろいろ読んでいるとかなり共通点があり、やはりベースには発達障害的な傾向があるんだろうなと思う。親があれだし、発達障害は遺伝するし。2人とも完全自己肯定型の、幸せなタイプだけど。でもその子供や妹になった日には、もれなく病みます。

名前と改名の話

 母は10人きょうだいで、そのうち女は6人、そのうち母を含めた5人の名前には、貞、姫、淑、順、小花といった従順そうな漢字が使われている。そしてただ一人、末っ子であるイモだけが、男のような強そうな漢字が使われている。烈という字と、もう1字も堅い印象の男に使うような漢字。韓国で「烈女」は「貞女」に近い意味だとはいえ、この人の場合はキョーレツとかモーレツといった意味が強く出たように見える。だって他の姉妹は小花とか姫とか淑だからねえ。何で末っ子にだけこんな強そうな名前にしたのかわからない。姫のつく名前を持った母はある意味何も考えないお姫さまのような性格だし。イモはまわりの人たちを食い殺すような猛烈な性質だし。名は体を表す。名前って大事だな。

 猛烈イモは自分の娘たちの名前を改名していたことを今回初めて知った。長女であるMさんが高校生の時だったそうだ。韓国は日本に比べると改名は容易で、改名している人は結構たくさんいる。イモはMさんを含め、3人の娘の名前を改名しようとしたそうだ。

 なぜ改名しようとしたのかというと、「名前に“子“がついて日本風だから」というもので、まあ自分でつけておいて勝手なものだなと思う。もしかしたら娘たちの名前をつけたのは夫でその夫が早死してもういないから、だったのかもしれないが。

 とにかく3人の娘の名前を変えようと、着名所(姓名判断)に聞いた所が、真ん中の娘だけ変えるべきではないと言われ、2人だけ変えることになった。その改名しなかった娘はのちにカトリックのシスターになり、今もフランスで修道女をしている。Mさんは「この子は神様に仕える運命だということがわかったから変えるなと言ったのだろう」と言っていたが、どうだろう。本人の幸せに繋がったかどうかはわからないが、とりあえず母である猛烈イモの理想通りに育ったのだけは確かだ。

 名前というものはよく「親からの最初のプレゼント」などと言われるが、それはいい親いい条件で生まれた人の話で、そうでない場合は「親からの呪いの言葉、呪文」にもなり得る。毒親のもとで育った人や虐待されて育った人は、大人になっても、自分の名前を呼ばれるのが嫌いな人が多いはずだ。名前を呼ばれるとびくっと緊張したり、不安になるからだ。そういう人は改名した方がいいのだろう。

 「親にもらった名前を変えるなんて」とか「親にもらった体を傷つけて整形するのはよくない」とか日本人は言いがちだけど、日本よりももっと親を大事にしなければいけないという規範に強固に縛られている韓国で、名前を変えている人がたくさんいたり、整形しまくっているというのが面白い。

西太后に似ていた

 この間テレビで西太后の特集を見ていたら、トライモと共通点が多いので驚いた。

 夫と息子は早死、嫁を死に追いやり(Mさんは嫁は姑を憎んでそのストレスで病気になった、と言っていた)、自分に楯突いたり意見をする人間は許さず、自分が権力を握っていないと気が済まない。保守的で古い価値観を死守し、改革は何が何でも否定する。確固たる価値観で大黒柱として家を守る。自分以外に強い女(嫁とか)が存在することは許さず、絶対的に抑圧する。そしていろんなことの報いを受けることもなく周囲の生気を吸って天寿をまっとう。

 最初にトライモを見た時から「女帝のようだ」という印象を持って密かに「女帝イモ」と呼んでいたけど、西太后似なんだから当然なのか。

花猫がゆく再訪7・下品地獄と泥棒猫

 私だってその土地の習慣を尊重するつもりはもちろんある。だから韓国の慣習は尊重してきたつもりだ。個人的に韓国の慣習の中で一番わだかまりを覚えるのは、親や年上を無条件で尊敬せねばならず、初対面で「序列を決めるために」(実際に韓国語でこの言い方をする)年齢を言わなければならないとかいった、行き過ぎた(と私には思える)儒教の慣習だ。きょうだいでもないのにお姉さんとか呼ばなければいけないとか、年下なら可愛がらなければいけないとか、正直気持ち悪いが「その国の習慣だから」と私なりに合わしてきたつもりだ。

 でも、そういう儒教関係ではなくて、もっとしょうもないことだけど許容するのがしんどい韓国の慣習が、たとえばものを食べる時に口を開けてクチャクチャいうとか(これはどうしても、絶対に慣れることができない。韓国だけではないだろうけど)、あと「正座がよくない」っていうのもなかなか慣れないもののひとつだ。

 韓国では正座は罪人がするもので、フォーマルな座り方は「立て膝」または「あぐら」なのである。食事の時に立て膝で食べるって日本では行儀が悪いけれど、韓国ではえらい人の前でも立て膝かあぐらが正しい。でも私はついそれを忘れてかしこまる時に正座しちゃって、目上のおじさんに「ちゃんと座りなさい」ってあぐらに直されたりする。「ちゃんと座る」が立て膝かあぐらなのよね、女性でも。まあ、これは楽でいいけど。

 でも、我慢限界ってことはある。もう無理ーって思うこともあるんです。

 特に食事の時、周り全員がクチャクチャ、クチャクチャ。あれは習慣的にやると「クチャクチャ」ではなく、舌の音も加わって「チョッ、チョッ、チョッ」と聞こえるもので、周りがみんなあぐらかいて立膝でパンツ見えそうになったりしながら、チョッ、チョッ、チョッ。

 我慢、我慢、我慢、と思っていても、うわーーーっと叫んで逃げ出したくなる時もあった。我慢したけど。

 西面市場の屋台みたいなとこで、若くて芸能人みたいな美人の女の子2人が食事してたけど、ショートパンツはいてるのに椅子の上であぐらに立て膝で顔を突き出して麺食ってた。クチャクチャと。あんなにオシャレな女の子でも、ってちょっと不思議な感じがしたなあ。

 

 あと、下品とは違うけど、すごく個人的に私的にどうしても許せないと思うことがひとつあった。

 以前韓国でこんな事件があった。マンションの下で野良猫に餌をやっていた女性の頭上に、誰かがレンガを落として、その女性が亡くなった。

 そして旅行のすぐ前にこんな事件もあってニュースで報道していた。ビルのガラス清掃の人がスマホで聞いていた音楽が嫌だと、その建物の住人が屋上に上り、その清掃の人を吊るしているロープを切った。

 信じられないようなニュースだが、悪い人はどの国にもいるのでその話ではなく、親戚たちの間でそのニュースが話題になり、Yさんがこう言ったのだ。「ああいうのは精神分裂病の人がやったのだ。普通ならあり得ない」

 あとで調べたら猫のほうは犯人は男子小学生だったらしいが、旅行の時はそれは知らなかった。私は猫に餌をやる人を殺すのはありえへんと思うし、だいたい元々韓国では猫は嫌われている(最近だいぶ変わってきて猫好きはふえてはいるが、飼われているのはペルシャとかマンチカンとか高価な座敷猫が多い)。その上韓国では昔から犬は放し飼いで猫はつながれていることが多い。これだけでも自由を愛する猫に何てことするんだと怒りを覚えるし、韓国人は自分以外が自由なのは許せない人たちなんじゃないかとさえ思う。もちろん人間に対しても(韓国の自殺率はダントツの世界一です)。

 だから野良猫もすごく少ない。いてもこちらを認識した途端、脱兎のごとく逃げる。日本でも逃げるけど、比じゃない。どれだけ人を恐れているのか、どれだけ普段人間からひどい目にあっているか、推して知るべしなのだ。

 で、話が出たついでにYさんにこう聞いてみた。「韓国では野良猫(キルコヤギ:道の猫)は少ないでしょう」。そしたらYさんがいまいましそうな表情で、「いいや、泥棒猫はたくさんいる」と言ったのだ。

 ここで私はピキッとなった。

 泥棒猫?

 恐らくキルコヤギというのはメディアや猫好きの人が使う政治的に正しい言い方なんだろう。一般の人は普通に野良猫のことを「泥棒猫」と言うのかもしれない。しかしYさんのいまいましそうな顔に吐き捨てるような言い方。そうだ、韓国人だったんだ、猫嫌いなんだ、と気づいて、目の前にサーッと線が引かれるのが見えた。

 野良猫のことを普通に泥棒猫と言うのは、私的には許容できない。せめてドラ猫とか、もっと愛情の感じられる言葉にしてほしいわ。

 もちろん韓国人全員が猫嫌いというわけではない。テレビの長寿番組である「動物農場」(すごいタイトルだけどオーウェルとはまるで無関係の子供から大人まで楽しめる動物番組)にも猫の話はよく出てくるし、そういうのを見ると「愛されてるな」とも思う。昔に比べると猫の地位は本当に上がった(「日本の影響」と言ってた韓国人がいた)。猫カフェもたくさんある(座敷猫ばかりだろうけど。これは日本も同じか)。韓国人はだいぶ猫好きになってきている。そう思ってたからこそ、「泥棒猫」にピキッときてしまったんだな。

 Yさんはもしかすると、猫に餌をやっていた人に石を落とした人に対して、「気持ちはわかる」くらいに思っていたのかもしれないな、と思った。そう思うと、更にサーッと自分が引いていくのがわかった。

 因みにYさんも敬虔なカトリック信者。お金持ちのYさん。ムン・ジェインの不動産への増税に怒っていた、売国奴パク・クネ支持のYさん。夫は宝石商で息子は医者。医者といっても皮膚科だという。韓国で皮膚科というのは、ほぼ美容皮膚科で、Mさんも「しみとり」をしてもらったという。なんだ社会貢献よりお金儲かる科を選んだんだな、と思った。全体に、あまりキリスト教的なものをどこにも感じない。慈悲とか優しさとか奉仕とか…。

 京都に住んでいた時、野良猫をかわいがってたお宅の人に声をかけたら、その人は「猫はええわ。人間はえげつない」と独り事のように言ってはった。今でもしょっちゅうこの言葉を思い出す。私も心からそう思ってるのかもしれない。

花猫がゆく再訪6・人を食い殺すトラ

 人相学では顔の横幅が広い人は支配的な性格で自己主張が強いとされるけれど、これに関しては科学的にも理屈に合っているらしい。男性ホルモンのテストステロンの分泌が多いと顔の骨格が横に張り出すからだそうだ。

 キドハジャイモは満月のようなパーンと横に張り出した丸顔なので、性格的にもこれには当てはまっている。顔は谷啓をもっと太らせて丸顔にしてタレ目にした感じ。キドハジャとうちの母は双子のようにそっくりだけど、顔はキドハジャのほうがより横に張り出している。

 キドハジャの娘Mさんの話によると、キドハジャは昔から親戚たちから「○○洞のトラ」と呼ばれていたほど気性が激しかったそうだ(洞は日本では町にあたる)。息子が気に入らないことをすると息子の髪をひっつかんで引き回したとか。気が強いだけでなく頭もよく、夫の仕事もトラブルがあると自分が解決してやり、息子の就職も自分のつてでまとめた。

 韓国では干支を重要視するから(若いアイドルたちでも年齢と同時に干支を確かめ合ってること多し)、もしかしたらキドハジャも干支がトラだからトラと呼ばれたのかもしれない。今ちょっと調べてみると、私の干支と寅年は相性が悪く「ケンカが多く、決してわかり合えない」とあった。もしそうだとしたら、当たってる。でも親孝行のMさんは私と同じ干支で、私とMさんが共通点が多いと感じるのもそのせいもあるのかもしれず、またこの親子は仲はよくはあるが、私から見るとMさんが親の犠牲になっているように見える気もするのだった。

 親戚がキドハジャをトラと呼んだのは性格のせいだけではなく、非常に頭がよくてやり手だったこともあったらしい。特に計算や記憶力が異常によく、一度見たことを細部に渡り細かく記憶している。数字も含めてそれなので、親戚たちは昔から、何かあればこのトラに「あれはどうだったか」と確認を取ったりしたらしい。この記憶力の凄さは、私も直接話していて実感している。高齢なのに母と違って全く認知症もなく、若い頃のことを細部に渡って鮮明に記憶している。気持ち悪いくらいに。数十年前の記憶でも、すらすら出てくるのだ。「よく覚えてないけど」みたいなセリフは一切ない。一度見聞きしたことは全て記憶の引き出しに入っているようだ。その場で一緒に話を聞いていたトラの娘たちも「うちのオンマの記憶はすごいから」と言っていた。

 私は自分の母親に少し発達障害の傾向があるのではないかと疑ってきた。知能障害ほどではないが低めの知能、でもただ知能が低いだけとは言い切れない勘の良さ、細かい部分まで記憶していて少しでも環境が変わると気持ち悪いらしく指摘してくる。ゲームやパズルには異常なほど熱中する(デイサービスの人にも「パズルをしたら集中力がすごいです」「オセロや花札でエキサイトされてます」と何度も言われた。「認知症の方としては異常なほどに、と思います」と実際言われた)。そして、人には人の考えや立場があるということが理解できない。他人の視点が理解できない。人の気持ちというものが「わからない」のではなく全く「存在しない」(この部分は自己愛性人格障害と思われる娘に受け継がれている)。悪人というわけではなく、無邪気に自分だけ。アルプスの少女ハイジみたいな性格。

 そんな親に育てられる子供たちはたまったもんじゃない。悪人ではないが、まぎれもない「毒親」なのだ。

 発達障害には遺伝性がある。イモの記憶力の話を聞いて、こりゃやっぱりその傾向がある家系なんだなと思った。

 因みに、発達障害は「障害」とついているけれど、脳の偏りの問題なので、厳密に言えば程度の差はあれ誰でも発達障害なのだ。偏りが社会にうまく合う形で出れば特殊な才能のある人だし、不都合で本人や周囲が困るほどであれば障害になる。

 トラはその強さゆえか、まわりの運命を食っていっているように私には見えた。昔は「寅年の女は男を食い殺す」とも言ったらしい。トラの夫は若い頃に病気で亡くなっている。そして長男も随分前に事故で亡くなっている。当時長男には小さい子供が2人いて、下の子供はまだ赤ん坊だった。その後は嫁と孫2人とトラとの4人暮らしが続いた。前回訪問した時には、なんてかいがいしく姑の世話をするすごい嫁だろうと思っていた。敬虔なカトリック教徒だからなのかな、とも。宗教に理由を求めたくなるくらい、滅私的によく働いていた。その時は全くわからなかったが、嫁は姑のトラを実は激しく嫌っていたと今回Mさんから訊いた。「ええーっそんな風には見えなかった」と驚いたと同時に「やっぱりそうなのか、そりゃそうだよな~」とめっちゃ納得した。国が違っても宗教があっても、やっぱ同じ人間じゃんと。

 その嫁は、高齢の姑より先に重い病気になり、今は遠方にあるカトリックが運営する療養所にいる。こういう面では宗教は役立っている。その中で生きていれば利益があり安心できるコミュニティとして。Mさんがドイツに留学していた時も教会へ毎日通ったという。外国でもさぞ安心できただろうと思う。もし家族の誰かが死んでも教会に連絡さえすればいいと思えば安心だ。しかも良心的でぼったくりもない。宗教は、それでこそ意味がある、というかそれでしか意味がないんじゃないだろうか。

 しかし嫁はさぞ無念だったのではないだろうか。当然、トラの方が先に死ぬと思って辛い嫁生活を耐えてきたことと思う。その時がくれば家は自分と子供たちが暮らせるだろうし、トラから解放されて自由になり、悠々自適に暮らせる。という見込みだったと思う。はっきりそう考えてはいなかったとしても、年齢からして当然そういう予測をしてたはずだ。

 なのにトラは長生き。病気をしても復活。自分のほうが先にどうなるかわからない状態になったのだ。将来化けて出てもおかしくないかもしれない。Mさんは、嫁から姑への不満をたくさん聞いてきたという。でも自分は姑の娘だから、あまり嫁につくこともできない(それはわかる気がする。Mさんは自分は理解するよという態度でいるので悩んでいる人は理解を求めてつい話してしまうのだ。でも後から「えっ」と思うほど手のひらを返すことがある。私にもそうだった)。自分は間に入って板挟みだったけど、嫁のストレスはたいへんなものだった、本当にオンマを嫌っていた。物凄く嫌っていた。そのストレスで病気になって、かわいそうだ、とMさんは言っていた。

 私が訪問した時点で、Mさんは療養所にいる嫁と少し険悪になっていると言っていた。嫁に何か気に障ることを言ってしまったらしい。自分では気づかなかったが、嫁の娘Tから「Mさんはしばらく私を通してオンマと話して」と言われたのだそうだ。Tはきっと自分の母親の味方なのだろう。所詮Mさんが自分の母親の味方でしかないように。

 トラの娘の一人はごく早くに亡くなっている。そして娘の一人Mさんは生まれつき体が異常に弱く障害もある。

 聞けば聞くほど、周りの運を食っているように見える。別にトラでなくても、そういった人はいる。まま、異常に運の強い人の周りにはそういったことがあるものだ。

花猫がゆく再訪5・宗教にウンザリ

 Mさんの勤め先の大学は郊外にあり、敷地が巨大で、ひとつの村のようだった。私が見た大邸の他の大学もそうだったから、地方都市の大学としては、こういうのが一般的なのかも。敷地の中に学部ごとの建物や食堂などだけでなく、公園に池、テニスコートにバスケットボール場やコロセウムみたいな形の競技場もあった。休み中で人は全然いなかったけど。

 Mさんの話では、それらの施設は学生を集めるためにあるのだそうだ。日本もそうだが韓国も少子化がすすんでいる。それと韓国独特の事情として、ソウルの大学でないと就職が難しいという問題がある。

 地方の大学を出た学生はどうするの?と聞いたら、それが問題なのよ~という感じで、大学は苦慮しているらしい。ただ、学生の総数は2万もいるとのことで、よくそんなに人が集まるな、とは思う。大邸だけでも他にいくつも大きな大学があるのに。韓国は大学進学率が高いからかな?

 Mさんの学部の場合は、芸術系ということで、先生になる人が多いらしい。学校の先生だけでなく、いろんなところの先生。

 キャンパス内の、池のある公園の向こうに、4~5階くらいの高さのきれいな団地のような建物がズラーッと並んでいた。ほんとに、どこまでも並んでいた。それは寮だと聞いて驚いた。よくそんなに人間がいるな、と思ってしまうくらい、建物はたくさんあった。

 でもそれだけじゃなかった。「あそこに高いビルあるでしょ、あれも寮」とのこと。タワマンみたいに大きな高層ビル。団地型の寮より新しく建てられたものらしい。

 それだけじゃない。キャンパスの外、大学の周囲の道路沿いはワンルームマンションが見渡す限り並んでいる。もののたとえではなく、本当に見渡す限り並んでいた。「あれもあれも、ぜーんぶワンルーム」。皆同じ形式で建てるから、見ただけでワンルームだとわかるのだそうだ。ここに大学が移転して以降、周辺の住民がこぞってワンルームに建て替えたとのこと。「あんなに寮があるのにー」と言うと、寮は規則があるから窮屈に思う学生は多くて、そんな人はワンルームに住むとのこと。やっぱ韓国人でも現代人はそうなんやね。

 その他に自宅通学の学生も相当数いる。そして、大学周囲の普通のアパート(マンション)、家族で住むようなところ、そういうところもほぼすべて大学関係者が住んでいるとのこと。これだけ大学の規模が大きければそこで働く人も多いわけで。あとは食事をしたり飲んだりするところを含めて、ほんとうに街全体が大学村。たぶん大学がくる前はなんもない田舎だったんだろう。

 ところでこの大学はカトリック系なので、キャンパス内に聖堂もあるし、神学部もある。カトリック信者の多い韓国のことだから、学生は信者が多いのかと聞くと、そうでもないらしい。もちろん信者もいる。私は少し前に島田裕巳の「宗教消滅」という本を読んでいて、そこには世界的に宗教離れがすすんでいると書かれていた。ヨーロッパでも教会に行かない人が急速にふえていると。韓国人は(いろんな意味で)宗教心が強いからそんなことないのかな、と思いながら、宗教心の強いMさんには不謹慎な気がしてそんな質問はしなかった。そしたら。

 「韓国でも最近教会に行かない人がふえててね」

とMさんの方から言い出したのだ。思わず「ええっ、やっぱり」と言ってしまったよ。

 「なぜ信仰しないのかと学生に聞くんだけどねえ。教会関係者にもいろんな人がいてね。神父様にもシスターにも、いろんな人がいるのよ。中には人格的にちょっと、という人もいる。もとは信仰していた人がそういう人を見て、落胆して信仰から離れていく。そういう人が、多いのよねえ」

 こんな話をわざわざしてくるくらいだから、そういう人が相当多いのだろう。尊敬に値しない宗教者を見てうんざりする人。

 正直、ぶっちゃけ、ここだけの話、韓国だからじゃないの?とちょっとだけ思ってしまった。もちろん日本でも宗教関係で悪い人はいっぱいいるだろうけど、人間の良し悪しだけでなく国民性?の違いもありはしないか。韓国人にも清廉潔白な人、真摯な人、誠実な人、いると思う。たくさんいるでしょう。けど私があくまで個人的に「ああ韓国人らしいな」と思うタイプは、良くも悪くも自己中心、パワフル、自分を押し通す、儒教信仰で上のもんが無条件でエライ、相手の話を聞かない、そんな感じで、そういった特性が特に強い人が宗教関係者の中にも必ずいるはず。

 日本で親が通っていた教会に、韓国から来たシスターが数年間滞在していたことがある。このシスター、悪い人ではないだろうけど、すごい商売っけが強かった。教会内で長年地味にやってきた留学生のための学生寮を全面改装し、家賃をドンと上げた(改装の財源は長年の信者たちの寄付?かどうかは不明。因みに韓国人の不動産運用熱はすごく、イモも家賃で長年食ってきた)。自分で韓国語教室をやり、はっきり言って素人先生でほぼ役に立たない授業なのにお金をとってた。教会にパソコンを導入して、VHSビデオも使えないような年寄り(うちの母)にDVD渡してた(買わせたのかもしれない)。DVDプレイヤーもなかったのに。すごい明るい人ではきはきしてたけど、あまり繊細なところはなくて、なんかシスターっぽくない人だなあ、と思っていた。少なくとも、悩みをこの人に相談したいとは全く思えないタイプだった。でも他の韓国から来たシスターはすごく物静かで優しそうな人もいたから、このシスターは特別だったと思う。でも、日本人ならあり得ないんじゃないかな、こんなやり手の尼さん。

 他にも、キリスト教ではないが、ひどい宗教者を見たことがある。日本にある韓国系仏教の寺にいた、韓国人の坊主だ。これは本当にひどかった。なんというか人格が劣悪というか、人への思いやりなんて1ナノグラムもない感じで。韓国の寺から追い出されて辺境の日本に左遷されたんじゃないか、と密かに思ったくらい。

 まあそんな人もいるくらいだから、おかしな宗教関係者、ぜんぜん不思議じゃない気がします。そんなことMさんには言わなかったけど。もちろん真面目な人がほとんどだとは思うけど。

 でもこの話があとでまた出てくることになったのよねえ。まるで伏線だったかのように。

 旅行の最終日にブチ切れた時、その場にいたMさんの妹までが「言ってあげたいんだけど、TAMAは信仰したらいいと思う」と言い出し、Mさんが「それは私も言ってあげたの」と言って2人で布教を始めたので、ブチ切れついでにこう言ったのよ。

 「正直に言っていいですか?うち母親信仰心強いでしょ。でも母はよくない所がたくさんあります!小さい頃からそんな姿を見て私は信仰する気はなくなったんです!」

 そしたらMさんが我が意を得たりという感じで「ほらぁ、これだ!」と言って笑ったのだ。Mさん妹が意味がわからなそうにしていると、尊敬できない宗教者のために信仰をなくす人の説明を自分の妹に上手に説明して、それで布教は止まった。きっと、このパターンは絶対に信仰は戻らないと経験から熟知してるのだろう。

 ついでにもひとつ宗教話。

 最後の晩、私は女帝イモに理不尽に叱りつけられ(私が悪いのではなく、うちのきょうだいが母に会いに行かないと聞いて、勝手に機嫌が悪くなり、ひとりで体壊しながら介護してきた私が叱りつけられた。そんなバカな話あるかいな)その後捨て台詞のように自分の娘2人に言った言葉。

 「キドハジャ!(祈ろう)」

 これにはムカーッときた。キドハジャ、じゃねーだろ!それは思考停止なんだよ!自分に都合いいだけ。目の前のもん見ろよ!!キドハジャの前に「大変だったね」の優しい慈悲の言葉のひとつも言えないク○(ソでもズでも)が、何が神だ。

 まあそもそも、女帝イモは私のことは前からもひとつお気には召さなかったのだと思う。こいつのお気に入りは自己愛性人格障害のほうだった。外面をよく見せる天才のあっちはまさしくお気に入り。たぶん相性サイコー。私はたぶん「かわいくない」のである。

 あと、イモが昔、私にこんなことを言ってたのも印象に残っている。

 「おまえはXX(自己愛性人格障害の名前)とは違う。おまえはTと一緒だ」

 きれいに自己愛性人格障害と私を比較しやがって、そういうの最低だと思うんだけど、このTとは当時同居していた孫娘の名前。この時は単に「自分勝手な現代っ子」くらいの意味かと思ってたのだけど、もしかしたらそれだけではなかったのかもしれない。

 今回知ったことだが、女帝イモは実は嫁と非常に折り合いが悪かったらしく、嫁はこの姑が大嫌いだったらしい(当然だよね…)。娘は母から祖母の悪口を聞かされるだろうし、祖母よりは母の味方だろうし、そう思えば孫娘とは少し距離があったのかもしれない。そのTと一緒とは、「自分に従順ではない何か」を私から感じ取っていたのかもしれない。

花猫がゆく再訪5・こんな嫌な思いをしてまで

 (非常に個人的な話になっていくのでここからは載せるのはどうかと思ったけど、自分の覚え書きとして載せておくことにした。たいして誰も見てはいないさと思うことにして)

 今回の旅行で親戚たちと話す中で初めて知ったのだけど、イモの暮らす家は、昔、私の父から借りた金で買ったのだそうだ。父から借りた金で便利な場所に家を建て、その1階を人に貸すことで収入を得て、父に金を返したのだと、イモの娘の一人から聞いた。やり手のイモらしい。1階は、長い間テコンドーの道場に貸していたが、今回行ったらなくなっていた。

 この家は大きな駅に近い上、活気のある市場の一帯の中に建っていて、道で野菜などを売る人がたくさんいる。その野菜売りの人に家の前の場所を貸すことでも場所代を得ている。ずっと同じ人に貸しているので、門番がわりにもなってくれているそうだ。真向かいは大きなカトリック教会。まさしくイモにとって最高の場所だっただろう。

 私はこの話を聞いて、なんだか納得できないような、もやもやした複雑な気持ちになってしまった。このイモは私に会ったり電話で話したりすると日本語で「お母さん大切にしろ」と必ず言ってきた。まあ普通の社交辞令のようなものだし儒教信者としては当然の挨拶と、気にもとめずハイハイ言ってきたのだが、この話を聞いて印象が変わった。そもそも今回の旅では(いや前から少しあったが)くわしくは言いたくないがこのイモには非常に嫌な思いをさせられた。正直、絶対に許さないこのババア、と今は思っている。

 ぶっちゃけ、「何だよ、偉そうなこと言って、うちの親に感謝する理由があるんじゃねえかよ、全部自分の都合なんじゃねーかよ」と感じたんである。それなら、「あんたとこのお父さんには昔よくしてもらって感謝してる。だから親は大切にしいや」とでも言えばよいのである。なら納得できる。素直にハイと言える。ただ偉そうに上から命令されるのとはわけが違う。

 私がこの数年間、親のために苦しんできたこと、それでも私なりに最善を尽くしたこと、きょうだいの卑劣さ、言葉にしきれない押しつぶされそうな思いを大量に抱えながら、自分の家族の中で韓国とつながるのは私が最後だろうから、力は足りないだろうけど自分が橋渡しの役をしようかという思いで、会いに行ったのである。その私の思いをこのク○ババアは文字通りク○にしやがった。

 韓国滞在の最後の晩、私は怒りや理不尽な思いやらで、一睡もできなかった。本当に1分も眠っていない。このまま明け方にこっそり荷物を持って出ていこうかとも思ったけれど、あとでよりややこしくなることを考えて思いとどまった。夜からずっと泣いたままだったので、朝になっても顔の腫れはおさまらなかったし、少し話し出すとまた涙が出てしまうような状態だった。その状態で(日曜だったので)強制的に教会に連れて行かれミサに出て、食事をしてから送るというのを「もう帰る。ひとりで帰る」といって出ようとするのを引き止められ、仕方なく車で送ってくれた。本当に一刻も早くひとりになりたかった。

 他の親戚たちと話すのは問題なかった。違和感はあっても文化が違うのだから当然だし、いくら疲れてもこういうものだと思うことができた。問題はひとえに女帝イモだった。私は本当に、自分中心で支配的な人間が大嫌いだ。

 あとになって、こんな嫌な思いをしてまで、行かなかったほうがよかったかな、とも考えたけれど、もし行っていなかったとしたら、中途半端なやりかけの気持ちが残ったままこの先ずっと過ごすことになってただろう。踏ん切りがついたからこれでよかったのかな、と思うことにした。

 旅行中、たまっていたものがブチ切れて泣きながらMさんに語ったことは、母は日本になど来ずにずっと韓国にいてたらどんなによかっただろう、ということ。うちの母は足りない人だ(多分発達障害の傾向がある)。父は若い頃はDVだったし、日本で頼れる人もなく、合わないシオモニ(姑)もいて、さぞ不安で嫌だっただろう。その嫌さ不幸さが子供に伝わって、5人の子供は全員歪んだ人間になっている(自分は世界一善良だと思って自信満々の姉がいるが、こいつが一番歪んでいる。典型的な自己愛性人格障害者だから)。

 韓国にいたまま、この濃い一族のコミュニティに守られていたなら、足りない母でも大丈夫だっただろうし、子供たちを不幸にすることもなかっただろう。そうだったらよかったのに。

 私はひとつ、訝んでいたことがあった。母の10人きょうだいのうち、女は6人か7人、その内日本に嫁に出されたのは2人。なぜ母がその内の一人に選ばれたのか。日本に出したらめったには会えなくなることを考えると、もしかすると、親の親からすると、あまり大切でなかったことはなかっただろうか。自分にとって特にかわいい出来のいい子供なら、なるべく近くに置いておこうと思わないだろうか。

 非常にドライな話だけど、子供は10人もいるんである。その上、日本に暮らすというのは当時は悪い話ではなかっただろうし。しかしそれにしても、知り合いのつてがあるだけの(教会関係の村の知り合いの紹介だったらしい)会ったこともない、それも異国の家に送り出すなんて、異常だとしか思えない。

 一族の結束に守られた韓国の親戚たちには、いくら親戚であろうと、在日の複雑な思いは絶対に理解できないし、そもそも理解したくもないのである。それは韓国人全体にもいえる。韓国人が在日に冷たいというのは事実だ(ちなみに反日だというのは事実に反する。韓国人は日本政府は嫌いだけど日本人のことは尊敬してるし大好きだ。そこは切り離して考えている。実際のところ、日本人は大好きで在日は嫌いなのである)。うちの家族だけの、また私だけの、個別の事情もたくさんある。世代の問題もある。彼らには複雑なことは理解できない。家族主義と儒教で全部が覆われてしまう単純な世界。その価値観からはみ出たらやっていけない(韓国に自殺が異常に多いのはそのせいが大きいと私は思っている。韓国人には大ブーイングされたけど)。だから、嘘だらけ。嘘で固めながらそれが嘘だとも気がつかない。指摘してもダメ。自己主張が強いから自分がこう思う!とどこまでも押し通す。

 理解して尊重しようとしてきたけど、ちょい疲れたかな。