嫁さん三態

1.

 周りの人間を食い殺していく人というのがいる。占いの世界では「後家運」とか「女には強すぎる運勢」とかいうのがあって、今の時代には古臭くてそぐわない考え方ではあるけど、大邱のイモは確かにこれだ。
 試しに日本式姓名判断でイモの名前を見てみると、19、21、18(または11)、29だから、後家運そのもの。実際に後家だったし。
 夫も早々に亡くなったが、大事な長男も早死にした。長男が亡くなった時、その子供2人はまだ小さな子供と赤ん坊で、嫁さんもまだ若かった。もし子供がまだいなかったら、嫁さんも出戻って新しい人生をやり直したかもしれないが、小さな子供が2人いて、しかも専業主婦で姑と同居していた。姑は家事はほとんどしなかったそうだから、結婚してからずっと嫁さんは家の家事を全部していたと思われる。結婚数年後に夫が死亡。子供が小さいから家を出ることもできず、その後は育児と女帝のようにでーんと座っているだけの姑の世話をし続ける生活となった。

 10年以上前に私がこの家の様子を初めて見た時には、かいがいしく働くスーパー嫁、結束の固いとても仲の良い家族、宗教(カトリック)によって強く暖かく安定して結びついている家族親族、に見えたし、その後も今回訪ねるまではそう思っていた。それを可能にしているのは宗教だとも思っていた。この親族はとても熱心なカトリック信者だからだ。イモの娘の1人はフランスで修道女までしてるのだから、夫が死んだ後も嫁が姑に尽くし続けるなんて当然の道徳観なのだろうと。ここは儒教精神の深く根付いた韓国でもあるし。

 実際は、嫁さんは姑を激しく嫌っていた。穏便な言い方しかしないMさんが真顔で「ものすごく嫌ってる」と言ってたから、相当嫌っていたのだろう。カトリックも、儒教の精神も、ぜーんぜん関係なかった。ただの嫁姑関係だった。しかもとんでもない自己中心な女帝姑。来る日も来る日も大嫌いな姑の家政婦をし続けなければいけなかった数十年間の生活は、どんなに嫌な日々だっただろう。しかし経済的には姑を頼るしかない。自分には稼ぐ方策もない。数十年後、そのストレスのせいか大病になり、今は田舎の療養所で暮らしている。常に死の影におびえているから、とてもピリピリしているとMさんは言っていた。

 Mさん(小姑)と嫁さんも、仲がいいのだと思っていた。実際仲はいいのだろうが、微妙な面もあったということも今回知った。Mさんと話していて、そんな生活続けてたなんて、嫁さん気の毒ですね、と言ったら、Mさんは突き放したようにこう言っていた。「どうかな。いつも土日は山登りとか遊びに行ってたし、割りと好きなことはしてた。それはオンマ(姑)のお金を使ってたわけだしね」

 山登りが好きなのは私も聞いていた。自転車もスポーツ車が家にあったし、アウトドアが好きな活発な人だったと思う。しかしそれが数十年間の苦渋の生活と見合うだけの「ぜいたく」なのか?山登りにサイクリング、しかも土日。家政婦の給料として見合うものかどうかわからないが、やはりMさんはイモ側の人間なのでイモの味方として考えるのだろう。これでは嫁さんがつらかったのも当然だ。実際に「私にとってはオンマ(母)だからオンマの側についてしまうし、でもいつも嫁さんからはオンマを悪く言うのを聞くし、板挟みだった」と言っていた。それはMさんが、物分かりのいい、理解してますよって顔をして嘘をつくからだよって今は思うけど。

 またMさんはこんなことも言っていた。「嫁と姑は、どちらもがとてもいい人であっても、絶対に一緒に暮らしてはいけない」 あくまで自分の母親は「いい人」というスタンスなんだな。こりゃ嫁さんつらいわ。

 本当に、暖かい心で嫁さんを土日に遊びにやり、小遣いを渡していたなら、それだけ憎まれるだろうか?Mさんの口調では、そんなに姑を憎む嫁さんの方が問題があるというような口ぶりだった。別の時には、オンマは心の大きい人だと賞賛もしていた(韓国人特有の、身内びいきの見栄発言だともいえるが)。

 ここまで見てきた今の私が言えるのは、あれはいけない。あの自己中心的で高圧的でわがままな、あんなのが姑で何十年も旦那なしで同居、子供たちが自立して家を出てからも同居し続けていれば、嫌うのは当然、心も体も病むのは当然。でも嫁さんにどうすることができただろうか。結局はイモに「吸われる」運命だったのだろうか。

 

2.

 日本のわが母にも嫁がいる。息子は3人いるから3人の嫁がいる(いた)。長男の嫁は某巨大新宗教信者で、キリスト教大好きのうちの母とは長らく宿敵状態だった。互いにめちゃめちゃ嫌い合っていた。母は嫁のことを「あのナンミョーホーレンゲキョーが」って言ってた。だから嫁はもう長いこと母とは全く交渉なし。孫が結婚しても、ひ孫ができても報告すらしないという有り様。

 この長男の嫁に関しては、母でなくとも、私にも「いい人ではないかもしれない」と思わざるをえない思い出が2つある。1つは、私が高校生の時、親が新しく建てた新居に引っ越しし、長男夫婦が訪ねてきた時のこと。小さい息子(母からしたら初孫)を連れていたのだが、母のいない私と2人だけの時、ふと自分の子供に向かってこんなことを言ったのだ。

 「この家は将来あんたのもんになるんやで」

 えっ。。。と絶句したのを覚えている。あ、そんなこと考えてるんや、と。

 もう1つは、思い出すのも心が痛い。私が就職して家を出た後、実家で飼っていた犬を長男夫婦にあげたらしいのだが、嫁がその犬を「捨てた」と言うのだ。その捨て方というのが、車で遠出をした折、行きの道で、絶対帰ってこれないような山の中に犬を置き去った。そして用事が済んで帰り道、同じ道を通った時、置き去った時と同じ場所に犬が待っていたというのだ。

 普通なら感動して、「ごめんよ~。もう絶対捨てたりしないよ!」と犬を抱きしめて連れて帰るシーンだと思うのだが。

 嫁が言うには、

 「犬と目が合ったら連れて帰ろうと思ってたんやけど、目が合わへんかったから置いてきてん」

 これを淡々と笑顔で話す嫁だった。人としての感情が壊れているとしか私には思えない。

 

3.

 長男の嫁はまあいいんです。自分と自分の家庭(夫と子供たち)はうまくやってるんだろうから。次男の嫁は当初からほとんど関わりがなく、私は会ったこともない。ていうかそもそも、年が離れすぎて、私は長男と次男とは数えるほどしか会話をしたことがないんです。結婚式もハワイだかでしていたし、親は出席もしていない。これだけでもどれだけ親子関係として異常だかわかる。毒親家庭ってそんなもんよ。

 唯一母と関わりのある嫁が三男の嫁なのだけど、この人、いい人なのだと私は長年思っていた。日本人で、そこそこ美人で、愛想がよくて、気が回って、多分会う人誰でも「いい人」だと思うだろう。22歳年上のいとこの女性も、「Mくんにあんなええ嫁さんがくるなんて」と言っていたし。

 「いい人」という印象が覆されたのは、介護状態の母を巡って、母の退院日に毒糞姉と口論になった時だった。私より14歳年上の毒糞姉(姉というのもおぞましいので以下G)は、自己愛性人格障害の人。三男の嫁は第三者なので中立的に判断してくれるだろうと思っていたバカな私。母の退院日。Gと嫁と私で話していて、

 いろいろあったが思い出すのも嫌だ。そもそもこの場ではGと私の間での話をしていたのに、全く無関係の嫁がペラペラと口を出し始め、全く関係ないのにGの味方をして私を攻め続けたのだ。Gは自己愛性人格障害にありがちだが、加害者のくせに被害者面をしていた。加害者なのに!何か変だなと思った私が「なんかGの味方ばっかりしてるけど?」と嫁に問うと、「それは今までの積み重ねちゃう?」と攻撃的な口調で私に言ってのけた。

 こいつ、いい人の振りしてたけど、結構、言うんだな、と思った。いい人の振りしてたけど、タヌキだっんたんだな。

 三男の嫁はこの場で、自己愛性人格障害用語でいうところの「取り巻き」であることがはっきりした。そしてボケた母は、この10年以上、いろいろなものを犠牲にし、健康も犠牲にし、父親が死んでからずっと母親のために尽くしてきたこの私をコケにし、私は周りが全員敵だと思い知り(母は認知症なので数秒後には忘れていたが)、この日はわんわん声を上げて泣きながら駅まで歩いて帰った。車で帰ろうとするGに、その横で私が怒りまくっているのに全くひるむこともなく「あっ、お姉さあん、私も乗せてえ♪」と軽快に言ってのけ、へらへらとGについていった。

 子供の頃からずっと、私は怒らない人だった。怒っても仕方ないからと、ただあきらめてやり過ごすのが生きる術になっていた。その癖が抜けず、今に至るまで随分苦労している。母とGの影響は大きかったと思う。怒ったとしても受け入れられたことが1度もない。「何ぶーたれとるんや、アホか」とか、「お前が怒ったってこわないで~」とバカにするとか、そういう対応しかできない人たち。この時のタヌキ嫁の態度にもそれを強く感じた。「バカにする目的」でわざと明るく「お姉さあん♪」とやるのだ。普通その場で誰かが激しく怒っていたら、とりあえず静かにしとるもんやろうに。それは「私はあなたをバカにしてますよ~」という意思表示なのだ。

 自己愛性人格障害者は、自分をアピールするのがものすごくうまく、周りの人たちを味方につけ、ターゲットを窮地に陥れるのが天才的にうまい。周りをさあっと観察して、決して自分が損をしないように、すべてが自分を利するようにもっていく。信じられないほど薄っぺらい人間なのに、そこだけ(あと金に関しても)は異常に狡猾。実際にGの大昔からの口癖が、「そんなことしたら損や」だった。私はバカな要領の悪い発達障害傾向なので、いつも損なことばかりしていたと思う。立ちまわるのがヘタでなめられやすくいじめられやすい。Gとは真逆の性格だ。Gが自分は素晴らしいという万能感にすぐに酔えるのと違って、私はいつも自罰的で考えこむタイプ。今思うと私は生まれつき、Gに「吸われて」いたのかもしれないな。

 タヌキ嫁の言った「積み重ね」って何なんじゃ、とあとから考えた。タヌキ嫁は一体何考えとるんや、と。私は以前はこいつを第三者として判断してくれる人と思っていたので、会えば少しは悩みも話してきた。Gについても、こんなことがあってね、という話もしたと思う。それなのにあの「私はこの人の味方!この人についてますっ!」という主張は何なんだろうと。Gは大いに慰められたと思う。Gにとっては可愛くない妹が私。代わりにできた可愛い妹が三男の嫁だったのだろうか。何か、Gの方がタヌキ嫁の手のひらで転がされているような。

 タヌキ嫁は、ごく若い時に三男とできちゃった婚をした。その前は就職もしてなかったんじゃないかな。三男はブサイクだが若い頃やんちゃで結構モテたので、タヌキ嫁は引っかかったのかもしれない。だが三男はバカだし働くのも嫌いで競馬好き。だから貧乏。子供は男女2人。女の子はタヌキ似の美人でうまく生きられそうだが、弟はよくはわからないが、ちょっと発達ぽかったと思う。感情が全く感じられず、ほとんど喋らなかった。遺伝かもしれない。

 タヌキ嫁は「こんな男と結婚してしまって」と悔やんだと思う。Gにもよく泣いてこぼしていたらしい。「Mさんがお金入れてくれない」とか言って。そして自分は体が弱いとよく主張していた。体調が悪くて家族の行事に来れない、ということがあった。「ほんとかな?」と私が聞くと、Gは「電話で話したけど、ほんまにしんどそうやったで」と言っていた。自己愛性人格障害者は案外単純で騙されやすい。

 私もよく体調を崩すけれど、あまり人にそれを言ったりしない。タヌキ嫁もアピール上手なのだ。ある時、「私も体が弱くて、体弱いと大変だよね」と話しかけたことがある。体弱い人の悩みを共有しようとしたのだけど、タヌキ嫁の反応は意外にも、露骨に迷惑そうだった。その時知ったのだった。あ、この人、自分が体弱い、と武器にしてたんだ、だから自分以外の人がそれ言うの嫌なんだ。体弱いっての、嘘かもしれん。

 Gも、親も、タヌキを哀れんだ。Mみたいなアホな男と一緒になってしまったから苦労している、と。ほんとかな。父親の葬式の時、三男と少し話したら、「あいつも金遣い荒い」とぼそっと言ってたけど。タヌキ、いつも可愛い真新しい服着てるけど。「可愛い服だね」と言うと、娘のお下がりだと言っていたけど、ほんとかな。

 でもタヌキが貧乏で悩んでたのは本当だと思う。バカ夫で悩んでたのも本当だと思う。だからこそ、そこへGだ。Gはそこそこ金持ちの男と結婚して、金がある。金があることは自分からアピールしている。タヌキから見たら、まぶしい。Gはとても偉そうにしている。しっかりしてない男兄弟と比べて、自信満々。私が支配する!という気マンマン。私が長女!と母の介護業者にも偉そうにしていた(介護も、人から見えないところでは何もしないのは徹底していた)。

 このお姉さんについていたらいいことあるかもしれない。とりあえずこの家族の中で頼れるのはこのお姉さん!そう思ってるのだろうと思う。何しろGは、嫁のいる前で、母親の貯金額、かつて4つほどにバラして入れてあった定期預金の額まで全て、ベラベラと大声でまくし立てる本物のバカなのだ。「何ゆうてんの」と言うと、「何が悪いんや!」とヤクザ口調で言い返される。嫁が「この人についていこう!」と決心するのも無理はない。Gは金への執着がすさまじいので、あれだけのバカなのに金額は細かく全部暗記してるんだなあと感心したものだ。私の方は、これは母の貯金だからという理由で、金額は何度も見ていたのに全く覚えていないので、こっちはこっちでバカなのだけど。

 どうもGは、私に渡るべきもの(例えば母のマンション)をタヌキ嫁にまわそうとしている節が前からあった(母に進言していたのを何度か母から聞いた)。タヌキも多分それを察知していたと思う。そう誘導していたのかもしれない。それって私にとってどうよ?本当の妹からむしりとって義理の妹に渡そうとするなんて、そんな姉ってどうよ。毒の上に糞がつく姉でしょう。ゴキブリと呼ばれてもしかたないでしょう(これ以外にもゴキブリと呼ぶに至った理由はたくさんある)。いやどうも、Gはかつて、タヌキ嫁にある借りがあるらしく、、、(あっもしやそれが「積み重ね」の意味か)。なら自分の金で返せばいいので、人の金で返そうとするのが何とも卑劣だ。いくらお金があっても吝嗇な自己愛性人格障害らしい。とにかくGとタヌキにはそういう妙な共生関係が見え隠れするのだ。

 しかしタヌキ嫁もバカだとは思う。Gの味方につくのはいいとして、なぜわざわざ私を敵に回す?そんなことする必要全くないのに。私はタヌキを「いい人」だと思っていたわけだし、Gと私のどっちを取る?ってタイプでは私がないことは普通に見ててわかるだろうに。実際に「私は自分の味方をしてほしいとは全く思ってない」とまで言ってあったのに。仮にどんなに私が無力だったとしても、敵ができるってことはいくらかはマイナスが生じるでしょう。普通に中立に立ってものを言えばよかっただけなのに、頭の悪い人間はそれができないのか、と。実際、私はこの日以来タヌキ嫁を金輪際信用しなくなったわけだし、もう親族だとか何らかの繋がりのある人間だとも思っていない。関係のない欲深い人、ただそれだけ。Gの腰巾着。わざわざそんな風に思われるようなこと、なんでする?

 おそらく、タヌキ嫁から見て、家族もない、金も特にない、そしてGより14歳も年が下の私は、あまりにも「弱いもの」「どうでもいいもの」であり、あまりにも味方につく意味がないもの。そしてGの方は、金があり、しっかりした家庭があり、支配的な強い性格、なにしろ「上!」上についたらトク、そう考えたのではないかしら。加えてタヌキが「積み重ね」と呼ぶ気持ちの悪い共生関係、Gと同様の勝ち負け思考、密かに私を邪魔だと思っていること等(単純なGはタヌキにとって手のひらで転がすのがちょろいが、私はやりにくい、というのもあったりして)。

 そういった、あまりにも下に見ていい存在(実は密かに邪魔だと思っている存在)である私は、Gへの忠誠心を示すための道具にされたのだと思う。ボスに対して忠誠心を示すことができるいい機会。私はこの日2人の結束を大いに強めたはずだ。Gはなお一層、母の持ち物や家族のあれこれについて詳しく教えてくれるだろうし、自分にいろいろと回ってくる手助けをしてくれるだろう。頼りにしてます、お姉さん!

 タヌキ嫁が嫁という立場で自分を守り、最大の利益を得ようと思うと、こうなるということなんだろうか。いっそ、長男の嫁のように、一切何も関わりを持ってこない方が、よっぽど人としてマシなんじゃないだろうか。犬を置き去りにするのは許せないが(それ考えるとどっちもどっちかな~)。

 しかし、タヌキ嫁がそういう考えを持ち、そういう基準で人を判断するのは、愚かというより、クズなんだと言える。悪人の腰巾着は悪人よりもっとたちが悪いのかもしれないし。

 (考えてみたら、タヌキも京都人だわ~)

自分に害を与えるものと縁を切ることも大事

 韓国語の勉強を始めた理由のひとつは、家族のうち1人くらいは韓国語ができる人がいたら何かの役に立つんじゃないか、と思ったからだった。母親がいなくなったら喋れる人は誰もいなくなるし、そうなれば韓国にいる親戚とも関係が途切れるだろう。少しでも言葉のできる人が1人でもいれば、細々とでも縁が切れなくてすむ。親戚にとっても、ここに連絡を取ればこちらの家族に繋がるという連絡先がひとつあれば助かるだろう。少なくとも、母親に何かあった時には、その妹であるイモには連絡してあげることができるし、向こうが先に何かあった場合にも、私に知らせてもらえば母に伝えることができる。不足ながらも、自分ができる限りの連絡係になれれば、と思ってのことだった。我ながら(無駄に)殊勝な考えだったと思う。

 母の認知症もだいぶ進んだ頃、父方のいとこ(といっても22歳も年上。私は親が40代の時の子供なので、韓国でも日本でも、親戚の中で私だけが世代が違う)と少し長く話す機会があった。韓国で私が今までやり取りがあったのは、全て母方の親戚で、父方の親戚とは会ったことも、話に聞いたことさえない。母が16歳まで韓国にいたのに対し、父は生まれてすぐ日本に来ているので、付き合いがあまりなかったようだ。父方の親戚がどんな人たちか気になっていたし、できるなら自分が親戚との連絡係になれればと思っていたので、その父方のいとこに、そちらの親戚とやり取りはあるのかどうか聞いてみた。すると、昔、韓国から日本に旅行に来たことがあるという。しかし詳しく聞いてみると、あまりよい思い出はなさそうなのだった。

 「あの人らが来た時、うちの家族は一生懸命もてなしてあげた。教会の人のお世話もあって(こっちも熱心なクリスチャン家庭)、あちこち案内もしたし食事代も全部出してあげて、つきっきりで世話した。でも、その後うちの家族が韓国に行ったら、ほったらかしどころか、せまい部屋で何人も詰め込まれて寝て、どこか連れて行ってくれることもないし、みんな無愛想で感じ悪くて、ひどい扱いを受けた。私ら言葉もわからんし、どうしていいかわからんかった。こう言ったら何やけど、うちはむこうが来た時にはお金もたくさん使ったのに、むこうは一銭も使いたくなさそうやった」

 みたいなことを苦々しく話すのだった。そのいとこはきょうだいも含め、うちと同じく韓国語は全くできないので、私は少し韓国語も勉強したし、よかったら連絡してみてもいいよ、と言ってみたのだが、「いやいやいや」と即座に否定。もう嫌だ、あの人達とはもう関わりたくないし会う気もない、と言うのだった。

 せっかくの親戚なのに、自分たちのルーツになる場所なのに、繋がりが切れてしまうなんてもったいない、と思った。その時は。

 大邱での最後の一泊は、イモの家に泊まるのだとMさんに言われた。今思えば私はもともとこのとても高圧的なイモがあまり好きではなかった(向こうも私をあまりお気に召していないようだし、要領よく媚びへつらいが上手な糞姉の方をたいそうお気に召しているあたりも、自分とは異質なものを感じていたと思う)。だから、最初に言ってくれてれば他に宿を取ったのに、と思ったがもう仕方ない。一泊の我慢だ。そう思ったけれど、結局この一泊が最悪の一泊となり、私は理不尽さと怒りとやり切れなさで一晩中涙が止まらず、一睡もできずに夜を明かした。今までの人生、徹夜したとしても1~2時間くらいは眠ったものだけれど、完全に一睡もできなかったのは初めてだった。旅行で気が張り、慣れない親戚たちとの付き合い(しかもオール韓国語。それも強烈な大邱方言)で気が張り、緊張続きだったせいもあると思う。

 あまりに腹が立って、夜のうちに勝手に出ていこうかと何度も考えて、荷物をまとめたり着替えたり寝具を畳んだりしたが、結局あとの面倒くささを考えると、何とかやり過ごしたほうがましだと思いとどまり、じっと朝を待った。

 しかし翌朝、すぐに帰れるなんてことはなく、たまたま日曜だったものだから教会に連れて行かれ、ミサ参加。涙目のまま我慢。ついでに宗教にもこの際心底ウンザリ。ここに限らず、今まで会った「信仰している人たち」が皆皆、悪すぎる。

 その日のミサでは「堅信」という行事が行われており、子供たちが白いドレスみたいな衣装を着て前に勢揃い。Mさんの妹が「見て見て、可愛い!ね、可愛いね!可愛いね!」と私に可愛さを押し付ける。私は子供が嫌いなので(子供時代のいじめの後遺症ではないかと思っている。子供の悪魔性が嫌)、適当に相槌。

 ミサが終わって帰宅したら、これからご飯をつくって食べて、それから飛行場に送ると言う。ええ~やっと帰れると思ったのに。私はここで限界をきたし、すいませんもう帰ります。ひとりで帰ります、では!と言ったが、当然一人では帰してくれず(向こうは「情」と言い張るが、田舎ならではの過干渉と思う)、Mさんが車で送ってくれることになった。それももう負担で仕方なかった。

 荷物を玄関に持ってきて帰る用意をしていると、Mさんの妹が「TAMA~、オンマに挨拶しなさい!」と呼ぶ。嫌で嫌で仕方なかったが、無視するわけにもいかず、ここをやり過ごすための最後の我慢と思い、仕方なくでーんと座っている女帝イモのところに。

 「元気でいてください。母にもしっかり伝えます。写真も見せますね」と言うと、もう今思い出しても不愉快だが、「お母さん大切にしなさい」、仕方なく「はいはい」、「お姉さんと仲良くしなさい」、前夜に家族不和の話をしていた(聞かれて仕方なく答えただけ。今でも嘘を言えばよかったと思っている)のでわざとこういうことを言ってくるのだが、ぐっとこらえて、とにかくただ早くここを出たくて、ニコニコして「はいはい」(今でもこれははいはい言わなきゃよかったと思っている)。

 ここでMさんの妹がとどめのひと言。「スキンシ~ップ!オンマはスキンシップが好きなの」

 私が険悪な気持ちでいるのを知っていてこういうことを強いてくるとは、さすがは超通俗のMさん妹。私は頭の中が爆発しそうになった。何がスキンシップだ!偽善の塊!偽善の館。自分の性格が憎い。何とかここをやり過ごして、穏便にすまそう。穏便に、穏便に、と考えてしまう。自分を抑えて、我慢して、ここをやり過ごして、といつも反射的に考えてしまう。とりあえず早くここから出たい!としか思えなかった。

 飛行場に送ってもらう車の中で怒りでまた泣いた。怒っている時に泣くのは怒りが正当に表現できてないからだとごく最近気づいた。私は小さい子供の時から、怒る代わりに泣いてきた。怒ることを封じられた環境に育ったせいか、怒ることができなくなっていたと思う。怒りを感じた時に「怒っても仕方ない」と反射的に考えてしまう不自然な癖がついていた。そして自分を抑えて相手を優先してしまう。怒りの表現方法を学べないまま今に至っていると、本当にごく最近気がついた。

 車の中でMさんには「気分が悪い。イモはひどいと思う」と正直に言った。Mさんに気を使わせるのにも疲れた。どうせこの人も宗教の人。理解あるような顔を一時はするが、翌日には「TAMAは神を信じるべきなのにしないからああなんだ」と思うのだろう。思考停止の幸せよ。

 あの晩のやり取りは思い出したくもない。韓国は行き過ぎた儒教社会で年寄りへ意見することは決して許されず、私はとにかく、我慢、我慢、我慢だった。もともと気が強い方ではなく繊細な方だ(糞姉は上には媚びへつらうが、キツイ性格で高圧的。わけのわからん隔世遺伝かなんかで、イモと同じ性質を受け継いでいるのかもしれない。お幸せなこった)。しかも不器用で要領よく立ち回れない。

 関係ないが韓国人が年寄りを大切にするというのは大嘘で、大切にされるのは「金のある」年寄りだけ。貧乏な年寄りは子供たちに見捨てられている。だから高齢者の貧困率は世界最悪の50%。年寄りを大切にどころか、若くないと大切にされない社会。若さ(と美しさ)が何より大切。だからみんな整形をする。

 私は、何とか切れかけの繋がりを細々とでも繋げようと思って、慣れない場所に一人でやってきた。その気持ちは全く大事にはされなかったと思っている。理解もしてないんじゃないかな。

 今思うことは、私に必要だったのは、縁を繋ぐことではなく、縁を切ることだったんだろうな、ということ。自分に害を与えるものは拒絶しなければいけない。AC的な人や子供の頃に長期のいじめにあった人は、これがなかなかできない。自分に害を与える環境に慣れすぎていて、それが当たり前だから、ただ我慢をしてしまう。またそういう環境しか馴染みがないから、そういう状況を引き寄せてしまうというのもある。

 ただそう考えることができたのも、実際に行って来て、嫌な経験をしたからこそ。もし実際に行っていなかったら、やらなければいけないことをやっていないという罪悪感のようなものを、ずっと持ち続けることになっていたと思う。

 日本にいる家族も、私にとっては毒多き家族だった。きょうだいは全員年が離れていて縁が薄いけれど、きょうだいたちにとってもそうだったらしく、そのうち一人は「縁を切る」と言って遠くに行った。どこかは知らない。生きてるのか死んでるのかも知らない。父親の葬式にも来ていない。その他のきょうだいも糞姉以外は今も母親に会いには全く来ない。糞姉は性質が母親やイモと似ていて自己中心的なので、一人だけお幸せそうだ。典型的な自己愛性人格障害の異常性格だけれども、本人には都合がよい。味方も多い(取り巻きの弟の嫁、子供、夫もキツイ女が好きなんだろうから味方でしょ知らんけど)。昔から美人と言われ続け天より高いプライド。お金への恐ろしく強烈な執着で実際にそこそこの金持ちと結婚して自尊心は満たされているし、子供にも恵まれ、話すことは全て自慢とマウンティング。この違和感はどうだろう。

 日本でも韓国でも、自分とはとことん合わない環境に生まれてきてしまったんだなと思う。そこに意味を見出してきた時もあったけれども、私がすべきだったことは、縁を繋ぐことではなく、縁を切ることだったんだろうと思う。この年にして知る(遅すぎ)。でも知らないままよりはよかった。

もう一つのデジャヴ

 そういえばもう一つ、気持ちの悪いデジャヴがあった。

 ずっと前に韓国に行った時、今は子持ちであるイモの孫娘T(当時大学生)が、おばあちゃんであるイモのところへ来て、「ハルモニ~」とイモの背中側から抱きつく、という光景を見た。私はその少し前にイモが苦々しそうに私に向かって「お前はTと同じだ」と言っていたのを聞いていたので、何か違和感を持ったのだ。でもまあ、ああ、仲良くしてるんだな、とその場は思っていた。私自身は家族でそういうベタベタした感じは苦手な方だけど。

 それからしばらくあと、母の家で、Gが台所に立っているところへGの娘(当時大学生)がやってきて、「お母さ~ん」とGの後ろから抱きついてるのを見た。その時もやはり、ちょっと違和感を感じながらも、仲いいんだね、と思っただけだったけど、今考えるとあの時のイモと孫娘の姿と、まるっきり同じなのだった。

 そりゃGと猛烈イモは相性がいいのは当然だわな。よく似てるもん。Gは日本生まれで韓国には旅行程度しか行ってないのに、本当に韓国人的な性格をしていると思う。ベタベタしたところも、見栄っ張りなところも、押しが強くて自分中心なところも、キッツイ性格なところも。

 そういえば、私はベタベタしたのが苦手な方だけど、Gはベタベタした感じが大好きな方だ。実は中身は全然愛情深くないのに、ベタベタした愛情表現みたいなものを母に対してもよくやる。「いやぁ、お母ちゃん、髪の毛伸びたなぁ(またベタベタの京都弁で)」と母の髪の毛を撫でる、とか。見ている私は嘘臭くて、気持ち悪くてたまらないが、世間的には「愛情深い姿」なのでやめてとも言えない。もちろん本人もそのつもりで自分の姿に酔っている。

 そう、「嘘臭い」から私は気持ち悪いのだ。Gの14歳下の妹に(間違って)生まれてしまった私には、その嘘臭さが手に取るようにわかる。Gにあるのは「自己愛」だけで、他人を思いやる能力は欠落しているのだから。

遺伝子のシンクロ?

 今回Mさんと久し振りに会った時に、あれっと思ったことがある。もしかして、顔つきが少し私に似てる?と。西太后も私の顔を見て、Mと口元が似てる、と言っていた。前は似てるとは思わなかったのに、歳をとって顔の肉が落ちて、骨格がわかりやすくなったのかもしれない。Mさんにそのことを言うと、「そうかなあ、私はTAMAはお父さんに似てると思う」と言っていた。私は顔つきは父と母両方の悪い部分を引き継いでいるので、まあそう思われるのも仕方ないかなと思った(因みにGは母方の美人遺伝子を受け継いでいて、私とは全く共通点のない別系統の顔。妹が不美人だったことも、下手にGの自尊心を高めて妹を見下す要因のひとつになったのかもしれない)。まあ、私と似ていると言われたのが嫌だっただけかもしれないが。

 いろいろ話していると、Mさんとは顔だけではなく、いろんな部分が少しずつ似てる、と思うようになった。多分少しアスペルガーの傾向があること。何かと過敏な体質、内向性で悩みの多い性格、体の弱さ(もちろんMさんの方がずっと苦労してて大変そうなのだが)、音楽が好きなこと、世間知が少し欠けているところ、等など。食べ物に関しては特に敏感でかなり気を使っているのも同じだった。干支まで同じ(ひと回り違うけど)。

 そのあとMさんの妹に会って、またあれっと思った。どうも誰かと似ている。丸顔の顔つき、表情、喋り方(話す内容も)、雰囲気、小太りな体型。以前会った時には思わなかったのだが、これも歳をとって地金が出てきたのか、Gに似ているのだった。ジャイアンのようにのしのしと歩く歩き方までそっくりで、向こうから歩いてくるのをふっと見た時、まるでGが歩いてくるのを見たようでゾッとした。体質も、この人はMさんとは違って随分頑強そうだ。そして単純で悩みが少なそう。Mさんが芸術の才能があるが世間知が少ないようなのに対して、芸術的センスはなさそうだが世間的常識にすごく長けているようで、チャキチャキと仕切っていた。Mさんは、妹の前では身動きもできない(コムチャクトモッテヨ)、と笑っていた。繊細な部分がなく、外向的でグイグイ、グイグイくる押しが強いタイプ。

 あくまで私が見た範囲でだけど、Mさんはストレスが多そうなタイプなのに、妹は少なそう(余計なことは考えないから)。Mさんは少し浮世離れしてるのに、妹は通俗的にしっかりしている。Mさんは独身で妹は家庭持ち。状況的にも、独り身で自由の効くMさんが最も親の介護を受け持っている。親の家まで1~2時間の距離を通っている。

 姉と妹が逆だけど、何だか下手な「写し」を見るようで気持ち悪い。ただし、あちらはきょうだいも一族も仲がよく、こっちは目茶苦茶。どういう下手なパラレルワールドなの。

 Mさんは子供の頃から体が弱く大きな病気もしていたので、猛烈イモは妹たちに「オンニ(姉さん)は体が弱いのだから守ってやれ」とよく言っていたらしい。これは立派だと思う。

 うちの母ときたら、私が小児喘息や重症アトピーだったのを、「うちの家族でこんな病気は他に一人もいない。何でお前だけこうなのか」と言い続け、「お前がこんなんやから、夜中に病院連れて行ったりして、私はほんまに苦労したわ」「アトピーやから皿洗いもさせんかったのに」と、「自分が」大変だったことばかり言い続けた。一番大変だったのは私だったはずだが、私に対してねぎらってくれたことは一度もない。

 しかしね、そもそも私がアレルギー体質なのは高齢出産と帝王切開の影響が強いのではと思うのだけどね。妊娠中の不摂生もあるかもね(酒タバコカフェイン気にせずやってそう。私の上に死産が1人いるし)。それに皿洗いもさせんかったというのは大嘘で、洗わない洗わないと文句ばっかり言うから、洗ってたよ。パックリ割れまくった血だらけの手で、皿洗いしてたよ、ほんとに痛かったけど。痒がってたら「掻くな!掻くからそんななるんや!」と怒られ、「かわいそうやな」「大変やな」なんていう優しい言葉は1度も(本当に1度も)なく、世のアトピーっ子の親がやるような(刺激のない食事など)努力はもちろん一切ない。子供の頃の食事は毎食、イシイのレトルトのハンバーグ。中学高校の6年間、ただの一度も弁当を作ってもらったことがない。全くの専業主婦だったのにね。毎日菓子パンが昼食ってのもアレルギーにはよくなかったと思うね。本当に子育てが面倒臭かったんだよね。

 長い間、親が悪いと思ったことはなかった。毒親持ちの子供はただあきらめてることが多いと思う。あきらめたまま文句を言わず歪んだ人生を生きていくんだけど、年取ってから溢れ出すのよ。ちゃんと文句を言えてきた人は違う。怒るべきことをちゃんと怒ってきた人はそうならないだろうけど。うちの長男なんて父親の葬式の時に父親への恨みが噴き出してたもんね。

 母と猛烈イモが双子みたいというのも例えですまないところがある。よく、離れた場所で育った双子が数十年後に会ったら、職業や結婚相手の特徴などいろんなことが同じだった、という話があるけど、ここ最近に関してはぞれと似たところがある。同じ時期に部屋で転倒して大腿骨骨折、翌年あたりにまた転倒して手の指骨折、何度かの入院時期も同時期。違う場所に引き離された双子が、離れた場所でシンクロしているみたい。認知症になってから連絡とりあわなくなって久しいのに。歳も4歳違うのに。ただ顔や体型見たら、同じ遺伝子を分けあってることはひと目でわかる。やっぱ遺伝子がシンクロしてるのか?気持ち悪い。

 ついでに、私は介護中ストレスのせいか突発性難聴になり、その後も何度も繰り返して後遺症にも悩んでいるのだけど、聞けばフランスの修道院にいるMさんの妹も同じだそうだ。

 目に見えない世界があって、何らかのやりとりがある、通信しあっている、というのは私はあると思う。遺伝子が引っ張っているのか、どっかで波長が合ってしまい、共鳴してシンクロしてしまっているのかわからないが、私は嫌だ。何かが通信しているのなら、ケーブルをブチブチっと切ってしまいたい。

帰化をすすめられた?

 Mさんの車で八公山をドライブし、木立の中でリンゴを食べながら、唐突にMさんがこんなことを言い出した。

 「TAMAは国籍を日本にしたらどうだ」

 は?いきなり何?と思ったのだが、保守の牙城大邸にあって大学勤めで自身も弱者である部分もありリベラルなMさんは、Mさんなりにいろいろ考えてきたことがあるらしい。私にこの話を必ずしなければ、と用意していたような感じだった。

 「TAMAはこれからも日本で暮らすのだし、韓国の国籍のままではいろいろ不都合もあるでしょう。国籍を変えた方が暮らしやすくなるんじゃない?もしそうしたいと思ったなら、こっちに遠慮することなく変えたらいいからね。ただ、オンマ(西太后)には内緒だけど」

 「イモには内緒?嫌がられるの?」
 「オンマはだめだと思う」
 「でも(西太后お気に入りの)Gは帰化してますよ。ずっと昔に家族全員で」
 「あ、それはオンマには言わない方がいい」

 何て勝手なんだろう、と呆れた。そして怒りを覚えた。一体、のうのうと韓国にいながら、日本で差別も受けつらい思いもしてきた我らに対して、西太后はどうして帰化するななどと思えるのだろう。自己中心的すぎる。

 私はひとつ後悔していることがある。ここでMさんに「言わない方がいい」と言われたので、私はMさんに遠慮して最後まで西太后にGが帰化してることを言わなかったのだ。言ってやればよかった。というか言うべきだった。お気に入りで立派だと思っているGがとうの昔に日本人だと知らせてやるべきだった。Mさんにしょうもない義理立てをしてしまったばかりに。

 ともかく、Mさんの「思い切って言った」感が逆に、ここでは帰化がそれだけタブーだったのか、と教えてくれるようだった。勝手なもんだ。だって、韓国にいる親戚に、私らがどうしようが関係ないじゃないの。何の権利があって?自分は何もしないのに。なぜ自分のナショナリズムをこっちに押し付ける?しかも売国奴朴槿恵支持の超保守主義者の考えることを。

 やっとられんわ。

 そういえば、私が現在の母の写真を向こうの親戚たちに見せた時、こういう反応があった。

 「日本人みたい。ずっと日本に住んでると日本人みたいになるのかな」

 もともと母は「朝鮮まるだし」のタイプだった。日本にいる母の姪の一人が(こいつも大概の性格だったが)、「あんたのお母さん、朝鮮まるだしやろ。だから一緒にいるの見られるの恥ずかしいねん。うちのお母さん(母の姉)は全然違ったのよ。すごぉく上品できれいだったの」 それをよく私に向かって言えるな、と思ったが、とにかくそういう感じの人だった。それが今や、韓国人から「日本人みたい」と言われるのだなあ、と感慨深かった。

生まれた順序による相性

 島田裕巳の宗教以外の本で、「相性が悪い!」という軽い新書がある。長子、末っ子、真ん中、一人っ子など同士の相性の話で、読んだ時はしょうもない駄本、と思って読み飛ばした。しかし、あとになってじわじわと、いろんな人を見るにつけ、「あれホンマやったなあ」と思い出すことが多くなった。

 うちの母は末っ子ではないが10人きょうだいの8番目のせいか、末っ子に近い性格をしている。猛烈イモは10番目の末っ子。母は頭がよくなくカラッと明るいが(親戚の人が「あんたのお母さんは、明るいけどカラカラや」と形容していた。言いたいことはわかる)、猛烈イモは頭が切れる。そういうバランスもあってか、2人は双子の末っ子みたいな感じだ。間に男の兄弟がいたが存在が薄く、会ったこともなければ話を聞いたことさえない。母はもちろん、気性の激しいイモでさえ、実は「甘える側」の性質なのだろう。

 数年前に大邸に行った時、今は病気で療養中の嫁(姑である猛烈イモへの憎しみで病気になった、とMさんは言っていた)と2人きりで少し話す機会があった。その時は嫁さんが姑のイモを憎んでいるとは露知らずだったが、今思えば思い当たることがある。私が何も聞いてもいないのに、嫁さんはこう言ってたのだ。

 「オモニ(猛烈イモ)は末っ子。だから性格も末っ子らしい。どかっと座って、自分は何もせず、何でもかんでも誰かが持ってきてくれると思ってる。お姫様(コンジュニム)みたいに、誰かがみんな世話してくれて当然だと思ってる」

 その時は嫁姑の仲が悪いとは露知らず、結束の固い仲の良い家族、よくできた嫁、とだけ思っていた私は、この言葉にちょっと違和感を感じながらも、特に反応もせず頷いてただけだった。あんな気が強いイモが末っ子の性格?と不思議に思ったのもある。今思えばとても納得がいくのだけど。

 「そうですよね!イモほんとわがまま!うちの母もですよ!困るよね、ああいう人!」とでも言えばよかった。そしたらほんの少しでも嫁さんは力づけられたかもしれない。でもあの時は、そんな家族や目上の人を批判するようなことは、この社会では決して言うのは許されないことだと強く思っていた。それが韓国社会のルールだから。

 「相性が悪い!」の伝でいくと、猛烈イモのお気に入りが自己愛性人格障害のGであることも納得がいく。Gは上に兄がいるものの長女だからだ。母の介護を巡って業者の人たちと会う時、自分は責任逃ればかりで人から見えるところでだけいい格好するだけの卑劣漢なのに、業者の前ではいつも、まわりに響き渡る大声で「長女です!」と自己紹介をするG。自分が上、というのを常にアピールする。病院でもデイサービスの人にもケアマネにも老人ホームでも。自分が上でないと気がすまない。しかし人目につかない地味な仕事、自分の得にならない仕事は、絶対にしないことは徹底している。それでも周りの人から「自分がよくやっている」ように見せるのは、本当に抜かりない。周りは簡単に騙される、というのは自己愛性人格障害の周囲にありがちです。

 今はよくわかるのだけど、これが「甘える側」の末っ子性格である西太后猛烈イモとは実に相性がよくて、だからイモはGがお気に入りだったのだ。そして自分と同じ末っ子的性格である私は気に入らない。思えは私と似てると言っていた孫娘のTも末っ子。私は「自分がダメだからだ」と思ってたけれど(まあダメはダメなんだろうけどさ)、そもそも最初から西太后とは相性が悪かったのだね。

 ついでに言えば、母もだが。母は昔はGを名前で呼んでいたのに、高齢になっていつの頃からか「姉ちゃん」と呼ぶようになった。この「姉ちゃん」のどことなく甘えた響きが気になってはいた。そういえば母は長男のことも(これは昔からだが)「兄ちゃん」と呼ぶ。頼りにしているのだ。末っ子性格で甘えて当然と思っているから、甘えているのだ。きっと大昔の大邸の田舎でも、上のきょうだいたちに「兄ちゃん」「姉ちゃん」と甘えていたのが、体の深いところに染み付いているのだろう。高齢になり幼児帰りして、それがどんどんむき出しになる。Gのほうは自分の子供も大人になり、自分が下に見て支配できて世話してる気分になれる者が今は親になり、甘えて甘えさせて、ますます相性はよくなっている、というように見える。今はいつでもギャラリーがいるし、親を大事にしてる娘を周りにアピールしまくれるし。

 今まで親のう○このついたパンツやズボンをどれだけ洗っただろう。おむつをするほどでもないが日常少しずつもらす。あの臭いをどれだけかいだか。24時間親の心配ばかりして気の休まる時もなかった。大雪の日も台風の日も体調の悪い日も、這ってでも親の家に通った。ボケた上にお姫様性格の母はもちろん1mgの感謝もしない。介護のしんどさ虚しさは経験した人にしかわからない。その中でGは人目につくところでだけ自分をアピール。偉そうにするだけでなく、私を目茶苦茶にバカにする発言。のちに「そんなん忘れたわぁ。私が何ゆうたんや。ゆうてみい」と抜かし(自己愛性人格障害なので、自分の都合の悪いことは脳内から消去し、記憶を捏造することができる)、私が言わないでいると「お前も忘れたんやないか(薄笑い)」。何か少しでも言おうものなら、「お前だけやと思ってるんか!!」と今まで何度言われただろう。

 Gは病的な性格だと思う。本当に。発達障害の人との付き合い方に悩んでいる人の書いたものをいろいろ読んでいるとかなり共通点があり、やはりベースには発達障害的な傾向があるんだろうなと思う。親があれだし、発達障害は遺伝するし。2人とも完全自己肯定型の、幸せなタイプだけど。でもその子供や妹になった日には、もれなく病みます。

名前と改名の話

 母は10人きょうだいで、そのうち女は6人、そのうち母を含めた5人の名前には、貞、姫、淑、順、小花といった従順そうな漢字が使われている。そしてただ一人、末っ子であるイモだけが、男のような強そうな漢字が使われている。烈という字と、もう1字も堅い印象の男に使うような漢字。韓国で「烈女」は「貞女」に近い意味だとはいえ、この人の場合はキョーレツとかモーレツといった意味が強く出たように見える。だって他の姉妹は小花とか姫とか淑だからねえ。何で末っ子にだけこんな強そうな名前にしたのかわからない。姫のつく名前を持った母はある意味何も考えないお姫さまのような性格だし。イモはまわりの人たちを食い殺すような猛烈な性質だし。名は体を表す。名前って大事だな。

 猛烈イモは自分の娘たちの名前を改名していたことを今回初めて知った。長女であるMさんが高校生の時だったそうだ。韓国は日本に比べると改名は容易で、改名している人は結構たくさんいる。イモはMさんを含め、3人の娘の名前を改名しようとしたそうだ。

 なぜ改名しようとしたのかというと、「名前に“子“がついて日本風だから」というもので、まあ自分でつけておいて勝手なものだなと思う。もしかしたら娘たちの名前をつけたのは夫でその夫が早死してもういないから、だったのかもしれないが。

 とにかく3人の娘の名前を変えようと、着名所(姓名判断)に聞いた所が、真ん中の娘だけ変えるべきではないと言われ、2人だけ変えることになった。その改名しなかった娘はのちにカトリックのシスターになり、今もフランスで修道女をしている。Mさんは「この子は神様に仕える運命だということがわかったから変えるなと言ったのだろう」と言っていたが、どうだろう。本人の幸せに繋がったかどうかはわからないが、とりあえず母である猛烈イモの理想通りに育ったのだけは確かだ。

 名前というものはよく「親からの最初のプレゼント」などと言われるが、それはいい親いい条件で生まれた人の話で、そうでない場合は「親からの呪いの言葉、呪文」にもなり得る。毒親のもとで育った人や虐待されて育った人は、大人になっても、自分の名前を呼ばれるのが嫌いな人が多いはずだ。名前を呼ばれるとびくっと緊張したり、不安になるからだ。そういう人は改名した方がいいのだろう。

 「親にもらった名前を変えるなんて」とか「親にもらった体を傷つけて整形するのはよくない」とか日本人は言いがちだけど、日本よりももっと親を大事にしなければいけないという規範に強固に縛られている韓国で、名前を変えている人がたくさんいたり、整形しまくっているというのが面白い。